基礎研究から世界を変える——OIST首席副学長Gil Granot-Mayer氏が語る、沖縄発グローバルディープテックの挑戦


沖縄科学技術大学院大学(OIST)は2012年に開学した国際的な研究大学である。世界80以上の国・地域から集まった学生や研究者が英語を公用語として最先端の科学研究に取り組み、「Nature Index」の世界の研究機関ランキングにおいて、その規模に対する重要な科学論文の割合を示す国際ランキングでは世界9位(2019年)を獲得している。そのOISTが新たなフェーズに入っている。

2023年4月に産学連携活動を包括する新ブランド「OIST Innovation」を発表し、同年12月にはスタートアップ支援を専門とするセクションが新設された。2024年からは科学技術振興機構(JST)の「共創の場形成支援プログラム(COI-NEXT)」の支援によりプログラムの規模を拡大し、これまでに「OIST Innovation Accelerator」のプログラム卒業企業やOIST発技術を活用した30社超のスタートアップを輩出している。

2025年4月には合計2000平米を有する新たなインキュベーション施設2棟が完成した。OIST Innovationの歩みは2014年にさかのぼる。当初は「沖縄の持続可能な開発オフィス」として設立され、その後「技術開発イノベーションセンター」へと改称してきた組織が、いよいよ本格的なスケーリングフェーズに入った。

その中核を担うのが、OIST Innovationの責任者を務めるGil Granot-Mayer首席副学長兼副理事長だ。イスラエル・ワイツマン科学研究所の技術移転企業YedaでCEOを務めた経歴を持つ彼が、なぜ沖縄に移り、どのような未来を描いているのか。基礎研究から実用化への「死の谷」を埋める戦略と、グローバルなディープテック・エコシステム構築への想いを聞いた。

世界最高峰からOISTへ——基礎研究が生む革命的イノベーション

Photo Credit: OIST

イスラエル・ワイツマン科学研究所は、世界有数の技術移転実績を誇る研究機関として知られている。その技術移転機関YedaのCEOを務めていたGranot-Mayer氏がなぜ沖縄に移ったのか。そして、基礎研究こそがディープテックの源泉だと確信する背景には、どのような経験があるのだろうか。

——まず、YedaからOISTに移られた経緯を教えてください。

私は弁護士としてキャリアをスタートしましたが、正直なところあまり向いていませんでした(笑)。その後、企業法務、知的財産分野に移り、最終的にアカデミアと産業界の橋渡しという非常に興味深い分野に辿り着きました。

ワイツマン科学研究所は世界最高峰の研究機関の一つで、私はそこで技術移転組織Yedaを率いていました。基礎研究をいかにビジネスに転換し、実社会にインパクトを与えるか——これが私の専門分野です。ワイツマンでは、がん治療に革命をもたらしたCAR-T細胞療法の一部技術など、多くの画期的な医薬品の開発に携わりました。

——なぜ沖縄のOISTを選ばれたのでしょうか?

実は、ワイツマンはOIST設立のモデルの一つになった大学なんです。コロナ禍の頃に、当時OISTの学長だったPeter Gruss氏から声をかけられました。最初の8ヶ月間はリモートで業務に従事していました。日本政府がOISTに投じているリソースと柔軟性、そして何よりも「スタートアップ」としての大学の在り方に非常に感銘を受けました。妻と相談して、2021年に沖縄に移住することを決断しました。

——基礎研究中心の大学で、どのように実用化への道筋をつけているのですか?

これは私の得意分野でもあります。実は基礎研究こそが、ディープテックにつながる大きなブレークスルーを生む源泉なんです。インクリメンタルな改善ではなく、根本的な発見によって新たな分野を開拓し、巨大な機会を創出する可能性があります。

具体例として、河野恵子准教授の研究を挙げましょう。彼女は細胞膜研究の世界的権威で、細胞創傷治癒機構の研究に長年取り組んできました。2024年には、細胞膜損傷と細胞老化(senescence)の関係における新たなメカニズムを発見したんです。この発見は老化防止薬の開発につながる可能性があります。

彼女は今もその基礎メカニズムの解明を続けながら、同時に実用化も視野に入れています。これがすばらしい点で、もしメカニズムを理解していなければ、開発は非常に困難になってしまいます。

——研究者の意識を変えるのは難しくありませんか?

確かに挑戦的です。でも、基礎研究を続けながらも、それを次のステップに進めることで、より大きなインパクトを生み出せることを理解してもらうよう努めています。より良いサイエンス、より多様な機会、そしてより大きな社会的影響——これらが実現できることを示すんです。

全員を変える必要はありません。OISTには現在約90名の教員がいますが、そのうち何人かが新たな方向に目を向けてくれればいいのです。

——研究者のスタートアップ参画について教えてください。 

私たちは研究者のスタートアップ参画に非常にリベラルな方針で取り組んでいます。利益相反がないことを確保しつつも、オープンな環境を保つよう努めています。ワイツマンと比べても、より創造的でリベラルな方向性を実践できており、これは私がOISTで働く醍醐味の一つです。 

最近の例では、高橋優樹准教授がOIST発のQubitcore(イオントラップ技術と光共振器を組み合わせた分散型量子計算システムの実現を目指す量子コンピューティングスタートアップ)の共同創業者兼取締役CSO(Chief Scientific Officer)として参画しました。

これはおそらくOISTの教授陣がこうした役職に就く初めての事例の一つです。私たちはこうした取り組みに対して非常にオープンで、優秀な研究者に研究を続けてもらいながら、より大きなインパクトを生み出したいと考えています。

独自のエコシステム戦略——「輸入」と「創出」の両輪

新設されたOISTインキュベーターの竣工式(2025年6月)。右端がGranot-Mayer氏。
Photo credit: OIST

OIST Innovationのアプローチは、単なる大学発ベンチャー支援にとどまらない。外部からのイノベーション「輸入」と内部での「創出」を組み合わせた独自の戦略は、多くの大学が自らの技術のみに焦点を当てる中で、極めてユニークな存在となっている。この戦略の背景には、Granot Mayer氏の母国イスラエルでの経験が深く関わっている。

——スタートアップを選定する際の基準は何ですか?

まず第一に、優れた科学でなければなりません。科学的に競争力がなければ、どんなビジネスモデルも成功しません。私たちは科学的内容を直接判断することはできませんが、研究者との対話や研究室メンバーとの話を通じて、その科学の深さを見極めます。これは投資家のデューデリジェンスに近いプロセスですね。

次に重要なのが、研究者との信頼関係の構築です。協力的でない相手とは組むべきではありません。私たちは投資家であると同時にサービス提供者でもあり、非常に複雑な関係性を築く必要があります。

——最近、選定基準が厳しくなったとお聞きしました。

はい、OIST Innovationにとっても挑戦的なチームも採択しています。2019年には、インドからEF Polymer(オレンジの皮などの作物残渣から100%オーガニックの超吸水性ポリマーを開発する環境スタートアップ)のようなチームも受け入れました。。

今年度参画したCancerFree Biotech(精拓生技)のようなプロジェクトでは、臨床分野でのサポートが必要となるため、私たちチームにとっても新たな挑戦となります。同社は、がん患者の血液から「替身(avatar)」を作り、体外で薬物テストを行う個人化精密医療技術を開発する台湾のバイオテックスタートアップです。私たちは、優れた技術力、革新性、OISTとのシナジー、潜在的なコラボレーションの可能性、そして何より「良い市民」であることを重視しています。

彼らはOISTの一部となり、インキュベーターに入居するわけですから、参加し、貢献し、アウトリーチ活動にも携わってもらいたいと考えています。

——外部からイノベーションを「輸入」するというアプローチについて教えてください。

私たちのアプローチはユニークです。多くの大学は自分たちの技術のみをアクセラレートしますが、OISTは外部からイノベーションを「輸入」しています。これはチリ政府が運営する「Startup Chile」プログラムからヒントを得た戦略です。Startup Chileは2010年に設立された世界初の政府系ビジネスアクセラレーターで、世界中から起業家を招致してチリのイノベーションエコシステムを強化することを目的としています。

規模が小さいからこそ可能な戦略で、これによってコミュニティを創造し、私たちの研究者にも刺激を与え、協働の機会を生み出しています。

沖縄は非常にユニークなポジションにあります。ここを歩いてみると、スタートアップにとって活気があり、自由で、素晴らしい場所になる可能性を感じますOISTをディープテックの触媒、あるいはディープテックセンターとして、沖縄は大きな潜在力を持っています。

グローバルマインドセットと沖縄の挑戦

2025年7月に沖縄・コザで開催された「KOZAROCKS」でスピーチするGranot-Mayer氏。
Photo Credit: OIST

Granot-Mayer氏が重視するのは「最初からグローバル」という考え方だ。しかし同時に、地元からの期待と長期的ビジョンのギャップという現実的な課題にも直面している。

——イスラエルと日本の起業家精神の違いをどう見ますか?

イスラエルは人口約1000万人の小国で、市場がないため最初からグローバルに考える必要があります。すべてのスタートアップが、成功するためには海外展開が不可欠だと理解しています。

イスラエルには「חוצפה(フツパー)」という概念があります。これはリスクテイキングと大胆さを表す言葉です。一般的に日本人は自らの提供価値を過小評価する傾向があり、決して誇張しません。アメリカは正反対で「Fake it till you make it(うまくいくまでうまくいっているふりをしろ)」という文化があります。イスラエルはその中間に位置していると思います。

——OISTの研究者や学生にも起業家精神のマインドを浸透させようとしていますか?

この4年間、彼らが思っている以上のことを達成できるよう後押ししてきました。これまで信じられないと思っていた多くのことを実現してきました——数々のスタートアップの輩出、新しいインキュベーターの設立、アクセラレータープログラムの拡充などです。

でも最も重要なのは、研究者や学生の意識変革です。彼らが知的財産の創造者だからです。彼らはいわば知のエンジンのような存在であり、私たちはその力を世の中に伝達する役割を担っています。

——沖縄県からの期待にどう応えていく計画ですか?

これは長期的な視点が必要な課題です。地元の方々は即座の結果を期待されますが、基礎研究やディープテックは本質的に時間がかかるものです。また、私たちは約90名の教員による基礎研究中心の組織であり、沖縄の主要産業がサービス業であることを考えると、県経済全体に即効性のある影響を与えるのは現実的ではありません。

しかし、変化は確実に起きています。地元経済界も徐々にOISTの価値を理解し始めています。例えば、琉球銀行がファンド創設を検討していたり、Lifetime Venturesを沖縄に誘致し、彼らが私たちのスタートアップに投資を始めています。地元プレイヤーもこのファンドに参加しています。

——ディープテックの事業化における最大の課題は何でしょうか?

技術分野によって異なります。医薬品や医療機器の場合、ビジネスモデルは明確ですが、技術的・財政的リスクが巨大で、開発期間が長く、コストも膨大です。

一方で、非常に新規性の高い技術の場合、「何に使うのか?どうやってビジネスにするのか?」が不明確で、消費者ニーズとの結びつきが弱いケースもあります。環境技術についても、CO₂には今や市場がありますが、生物多様性や海洋生態学となると、ビジネスモデルが不透明になります。

また、ディープテックのもう一つの課題は投資です。多くの場合、高価なハードウェアを必要とし、長期投資が前提となりますが、世界的にほとんどのVCはこれを好みません。日本は少し事情が違うかもしれませんが、グローバルなVCは一般的にそうですね。

しかし、私はディープテックが科学と結びついているからこそ好きなんです。先ほど申し上げたように、大きな潜在力があり、私たちの未来にとっても非常に重要だと考えています。

——量子分野の人材確保についてはいかがですか?

量子分野は、実際の企業ニーズに適合する人材を見つけるのが極めて困難な分野です。OISTでも2022年にOIST量子技術センター(OCQT)が設立されるなど、この分野への注力を続けていますが、市場のニーズに対して適切な人材を確保することは大きな挑戦です。

持続可能な成長と10年後のビジョン

2025年7月に沖縄・コザで開催された「KOZAROCKS」でスピーチするGranot-Mayer氏。
Photo Credit: KOZAROCKS

OISTという「実験的な大学」が直面する最大の課題は、その持続可能性にある。政府の巨額投資によって設立された研究機関として、短期的な成果への期待と長期的な基礎研究のバランスをどう取るか。Granot-Mayer氏は、これをOISTが日本全体に与えうる戦略的価値という観点から捉えている。

——現在直面している最大の課題は何でしょうか?

OISTは政府による非常に大胆でユニークなプロジェクトです。この巨大な投資を見れば分かりますが、継続性が大きな挑戦です。現在の規模は小さいながらも、多くの期待を背負っています。

5つの研究棟では、100名の教員とその研究ユニットを収容するのが限界です。300名規模に成長するには15の研究棟が必要です。ワイツマン、MIT、ハーバード、スタンフォードなど、一流機関は100年の歴史があります。私たちは長期的な視点で計画する必要があります。

最大の課題は、沖縄振興予算以外の追加的な資金源の確保です。沖縄振興予算は沖縄をサポートするためのものですが、その財源のみでは大学の成長には限界があります。

日本政府の他の省庁からの支援を期待しています。なぜなら、OISTは日本の戦略的資産の一つだと確信しているからです。

——OISTは日本にとってどのような戦略的価値があるとお考えですか?

OISTは日本の戦略的資産の一つだと確信しています。学術界を変革し、スタートアップシーンを変革する力があります。私たち単独ではありませんが、模範となることで小さな変化を起こせます。

他の大学が私たちを見て、グローバル思考、英語での研究、外国人研究者の受け入れ、スタートアップ支援などを始めているのを目にします。すべてをコピーしているわけではありませんが、私たちは他の人々が注目し、「OISTは違う、私たちも何かすべきかもしれない」と考えさせるプレイヤーなのです。これが私たちの役割だと思います。

——10年後のOIST Innovationのビジョンをお聞かせください。

現在は年間4チームのアクセラレータープログラムを運営していますが、これを拡大していく計画です。重要なのは量ではなく質です。最高の人材を選定し、最高の条件で選考するつもりです。

地理的拡大については、アジア地域との連携にも注力しています。特に、日本市場を見据えたアジア地域のスタートアップに対し、OISTをローンチパッドとして提供し、さらには欧米への展開も支援できるような体制を構想しています。

世界レベルのディープテック・スタートアップを継続的に輩出し、沖縄をアジア太平洋地域のイノベーションハブとして確立したいと思っています。

そして何より、OISTが日本の他の地域や大学にとってのモデルケースになることです。規模は小さくても、正しいアプローチと長期的視点があれば、世界を変えるイノベーションを生み出せることを証明したいのです。


基礎研究の力を信じ、長期的視点でエコシステム構築に取り組むGranot-Mayer氏の姿勢は、短期的成果を求めがちな現代のイノベーション支援とは一線を画している。「OISTがやる」ではなく「みんなでやる」というコラボレーション重視のアプローチも、持続可能なイノベーション創出には不可欠な要素だろう。

沖縄という地理的制約を逆手に取り、「最初からグローバル」を前提としたスタートアップ支援は、日本の他の地域にとっても示唆に富む。Granot-Mayer氏が描く10年後のビジョン——沖縄がアジア太平洋のディープテック・ハブとなり、OISTモデルが日本全体に波及する未来は、決して夢物語ではない。基礎研究から生まれる真のイノベーションが世界を変える日は、すぐそこまで来ているのかもしれない。

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