海の未来を養う——Kwahuu Oceanがイカ養殖で切り開く持続可能な水産業への道


現代美術の作家からイカの養殖事業を手がけるスタートアップCEOへ——Kwahuu Oceanの中島隆太氏の経歴は異色だ。もともとミネソタ大学の美術学部教授として現代美術に携わっていた中島氏は、2008年頃からイカの行動、特に体色変化に興味を持ち始めた。

当初はその生態を利用して美術作品を作ろうとしていたが、タコやイカの入手や飼育の困難さに直面する。葛西臨海水族館から送られてきた飼育システムの図面は、アーティストの彼には手が届かないものだった。そこから研究を深めていくうちに、テキサス大学の医療研究施設(UTMB, その後のNRCC)でビジティングリサーチャーとなり、科学の世界へと足を踏み入れた。

「アートをやっていた人間が科学の世界にやってきた」と中島氏は自らの軌跡を語ってくれた。

中島氏はその後、沖縄科学技術大学院大学(OIST)でMiller教授率いる物理生物学ユニットでの研究を経て、2022年にアオリイカの継代飼育で10世代という世界記録をチームメンバーとして達成した。従来の記録は7世代だったが、より効率的かつコンパクトな飼育システムを開発したことで記録を更新。この成果に対し、日本全国から食用イカの養殖技術への応用を求める声が寄せられた。こうした経緯から、OISTから技術移転を受けて新会社Kwahuu Oceanを立ち上げ、商業養殖の可能性を追求する道を選ぶことになった。

偶然から始まった研究とOISTでのブレークスルー

アオリイカ
鶴岡市立加茂水族館飼育展示個体
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イカ研究への道は一連の偶然から始まった。「全部偶然ですね」と中島氏は振り返る。アート作品制作のためにイカを入手しようとしたところ、テキサス大学にあるタコの研究所と接触し、彼らの研究室に招かれることになる。

テキサス大学の医療研究施設でビジティングリサーチャーとして勤務した後、頭足類研究で知られる琉球大学池田研究室で6年間にわたり研究に従事。2015年には函館で開催された国際頭足類学会議に参加した。この時期、OISTの研究者たちが頭足類研究に興味を示し始め、琉球大学との関係が構築されていった。

2017年には、OISTの臨海実験施設「マリン・サイエンス・ステーション」でイカの行動をモニタリングし、数理モデルを作り上げるプロジェクトが始動した。行動学、脳神経科学、遺伝学、AI、コンピュータープログラミング、物理学など、さまざまな分野の専門家が集まって研究チームが形成された。

OIST マリン・サイエンス・ステーション
Photo Credit: OIST

沖縄には140種類以上のイカと同程度のタコが生息しており、テキサスに比べて研究材料の入手が圧倒的に容易だった。研究チームは「モデル動物を探すために、いろいろなイカやタコを飼育してみよう」と、10数種類のイカやタコのライフサイクルを完結させる研究を開始した。

その中でも特にアオリイカが継代飼育に適していることが判明した。アオリイカは寿命が1年であるが、沖縄では夏場に3ヶ月、低水温の冬場でも6ヶ月で1kgを超える個体に成熟するなど、驚異的な成長スピードを持ち、研究に適した特性を備えていた。

ただし、アオリイカの飼育には極めて高度な技術が必要だった。水槽の壁への衝突が主要な死因の一つとなること、大食漢で生きた魚を食べるため水質管理が難しいこと、アオリイカ特有の社会性に準じた飼育方法を確立するなど課題は多かった。

中島氏によれば、こうした生態的特徴を理解し、適切な飼育環境を構築して継代飼育を成功させることができたのは、OISTという独特な研究環境があったからだ。その特徴は主に3つあるという。

Kwahuu Ocean
中島隆太氏

まず一つ目はOISTのトラストシステムだ。一般的な大学では研究者は研究費獲得のための申請書作成に多くの時間を費やし、成果の見込める保守的な研究しか進められない傾向がある。しかしOISTでは十分な予算と自由度が与えられ、研究チームは5年間一本も論文を出さないという状況でも研究を続けることができた。

普通だと絶対ありえないんです、1本もペーパー(論文)を出さなくても、ちゃんとサポートされて予算も与えられて。できるまで頑張れるみたいな環境でした。(中島氏)

二つ目は多様性だ。日本の水産系学部では同じ専門分野の中だけでキャリアを積む傾向があるが、OISTでは背景の異なる研究者が集まり、固定概念にとらわれない研究ができた。研究チームは物理学出身のJonathan Miller教授をリーダーに、さまざまな専門分野の研究者が協力した。

王道を歩いてきてしまうと、そこで当たり前という感覚がどうしてもできてしまう。こうでなければいけないとか、こうしているべきだとか。そういうのはものすごく強くなってしまうんですね。そうすると、それ以外のところが見えづらくなってしまう。(中島氏)

従来の水産研究で当たり前とされていた手法や考え方に縛られない柔軟なアプローチが可能となった。研究室内では見解の相違から議論が白熱することもあったが、それがイノベーションを生む土壌となった。

三つ目は潤沢な予算だ。限られた予算で研究を行う場合、すべてを効率化せざるを得ないが、OISTでは必要な設備や材料を十分に調達できた。研究チームは5年間にわたり24時間体制でイカの行動を録画し続け、膨大なデータを収集した。

ビデオ録画を回しっぱなしにしていると、ハードドライブのスペースだけで相当な費用がかかる。昔だったら絶対ありえないんですよ。でも、そうやってデータを収集することで、今まで見落としてた部分が見えてくるわけです。(中島氏)

アオリイカは高級食材としても知られており、商業養殖への応用可能性が高いと期待されている。こうした条件がそろった結果、ついに10世代という世界記録を達成することができた。

小型分散型養殖という新たなビジョン

宮城島の桃原港
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Kwahuu Oceanは現在、沖縄中部の宮城島に施設を建設し、商業養殖の実現可能性を検証している段階だ。通常のスタートアップとの違いについて、こう説明される。

普通なら、モノができていて、それをどう売るかという話ですが、うちの場合、まずモノができてないですし、本当にできるかどうかもわからない。(中島氏)

OISTのような恵まれた環境で開発された技術が、一般的な環境でも再現できるかどうかが第一関門だ。「誰でもできるような技術でなければならない。高価な施設なしでもできないといけない」これはスタートアップとしてはかなり前倒しで出てきた段階だという。

同社は2025年中に現在の施設でイカが作れるかを検証し、それを食べておいしいかどうか、商品価値があるかを確認する計画だ。その段階で初めて、どの程度の面積とコストで何匹程度のイカが生産できるかがわかる。その後、4〜5年かけて問題解決を進め、採算が取れるレベルまで持っていくことを目指している。

中島氏が提唱するのは、従来の「大量生産・大量消費」型の養殖モデルではなく、「小型分散型」という新しいモデルだ。

地産地消の小型分散型。小さな少量生産を各地に点在させ、その地域で消費するぐらいのイカの分だけはそこで作ればいい。どんなに食べても、一家族が1年に3匹も食べられればいいじゃないですか。だったら、そんなにめちゃくちゃ生産する必要はない。(中島氏)

この考えの背景には、従来の工業的な大量生産方式を生物に適用することへの疑問がある。生物にはさまざまな変動要素があり、工業製品のように完全に制御して大量生産することには限界があるからだ。

小型分散型モデルには、食料自給率の向上や為替変動リスクの低減、カーボンフットプリントの削減といった利点がある。中国漁船がチリ沖合まで行って漁獲し、冷凍して日本に輸入するといった現状と比べれば、地域内で生産・消費する方がはるかに環境負荷が小さい。

コンパクトなコミュニティがいっぱいあって、それぞれが、ある程度の自給率を高めるのが、将来的なモデルになっていくでしょう。(中島氏)

養殖イカの市場戦略についても独自のアプローチが考えられている。日本に根深く浸透している「天然ものが素晴らしく、養殖物は安いもの」という固定観念を変える必要がある。実際には養殖の方が圧倒的にコストがかかっており、その価値をどう消費者に伝えるかが重要だ。

決め手となるのは価格競争ではなく、養殖でしか実現できない付加価値の訴求だ。例えば、寄生虫がつかない、といった安全性を新しい商品の強みとして打ち出していく必要があるだろう。Kwahuu Oceanでは、養殖イカを天然イカとは全く違う商品として差別化を図る戦略だ。

養殖という事業自体が公共事業に近い位置づけになるという分析もある。大量生産型の養殖ではどこかに歪みが生じ、食の安全上の問題や自然環境の破壊といった問題が発生する。将来に向けた養殖のあり方をどう変えていくかが一つのプロジェクトなのだ。

深刻化する水産業の現実と新たな可能性

イカを取り巻く市場環境は深刻だ。世界のイカ市場は約8兆円規模で年々拡大する一方、漁獲量は激減している。実際に昔からイカで有名な呼子の朝市を訪れると、近隣の博多に出荷するイカさえなく、地元の割烹が九州全体の漁協を回ってかき集めているレベルだという。

呼子でさえ、もうイカが食べられない。それくらいイカが獲れていない。(中島氏)

数字も状況の深刻さを裏付ける。全国的に見て、イカ類全体の漁獲量は2012年から2022年の10年間で約73%減少している(農林水産省 海面漁業生産統計調査)。また、イカ漁獲量日本一だった八戸港でも、2000年頃には年間水揚げ量が約20万トンだったのが、2023年には最盛期のわずか4%まで落ち込んだ(八戸市農林水産部水産事務所のデータ)。

こうした状況の背景には、日本の水産資源管理の問題がある。資源管理がずさんなまま獲れるものを全部獲ってきた結果、日本近海の資源は枯渇状態にある。さらに中国との「買い負け」も深刻化している。中国は国内消費の増加と他市場の拡大で、もはや日本に売る必要がない状況だ。この流れが続けば海産物が日本の食卓から消える危険性さえある。

漁業の在り方自体の転換が必要になっている。特に沖縄県では、マグロやモズク以外の漁業はほとんど残っていない。そこで注目されるのがブルーカーボンクレジットのような環境保全型の漁業だ。

アマモやマングローブの生産といった海を守る活動が漁業となり、それが金銭的価値として成り立つのであれば、遠くからマグロを取ってきて売るよりも将来性のある事業になるという考え方だ。マリンテック、フードテックの拡大も急務と言えるだろう。

地域に根ざしたスタートアップモデルの形

Photo Credit: Kwahuu Ocean

現在の一般的なスタートアップシーンでは投資額が成功指標と見られがちだ。大規模な投資を受けた結果として、利益を最大化するために人員削減やコスト削減が避けられなくなり、そのしわ寄せが一般の労働者に来てしまう危険性を伴う。その結果、シリコンバレー型の成長モデルは、沖縄からエネルギーを吸い上げるポンプになってしまう、と中島氏は危惧する。

資本主義も民主主義も、すべてが後追いで日本に他の場所から移植されたものです。強いていえば、グローバリズムもSDGsも同様に日本人が考えた概念ではありません。ルールを作った人たちのゲームを、ルールを作っていない我々がやったら、絶対負けます。(中島氏)

中島氏は、沖縄の「共有」の文化では、競争概念を押し込むよりも共有文化を活性化させる方が適していると指摘した。実のところ、Kwahuu Oceanが最も重視するのはコミュニティとの信頼関係だ。OISTコミュニティ、地元漁業者、沖縄全体など、さまざまな層との関係構築が事業の中核に据えられている。

コミュニティとの信頼関係が一番大切だと思うんです。それをちゃんと作って持続させていくのが、私たちにとって一番のアセットです。(中島氏)

この哲学は同社の施設建設にも表れている。当初20億円規模の施設建設を想定していたが、予算の制約から新たなアプローチを模索し、結果として地域コミュニティの協力を得て、DIY的手法で十分の一以下のコストでの建設を実現した。

もし100億円の投資を受けていたら、そのお金を使って、20億円かけて施設が建っただけで、そこからは何の学びもなかったと思います。(中島氏)

潤沢な資金があれば高価な設備に頼った従来型のアプローチを取っていただろうが、制約があったからこそ地域との協働という新しい手法を発見できたというわけだ。実際には地元の施設を持つ経営者や漁協、周辺住民の支援によって施設の建設が進められており、このエピソードは資金調達の制約が逆に革新的な解決策を生み出すという、同社の本質を表している。

現代美術家から科学者、そして起業家へと歩んできた中島氏の軌跡は、既存の枠組みを超えた発想と持続可能な社会への深い思索に裏打ちされている。

イカを作って売るというのは大切だが、それより将来的なところを見越して、食文化や食の安全、人々が安心して生活できるモデルケースができたらいい。(中島氏)

Kwahuu Oceanの挑戦は、技術開発という表面的な課題を超えて、社会システムの根本的な問い直しにつながっている。OISTでの研究で得られた多様性の価値、固定概念からの脱却、十分なリソースの重要性という学びが、事業運営の哲学にも活かされている。

従来の大量生産・大量消費モデルから、地域に根ざした小型分散型養殖への転換は、環境負荷削減と食料安全保障の両立を目指す野心的な試みだ。また、シリコンバレー型投資主導モデルへの疑問提起は、グローバル化の中で地域のアイデンティティをどう保つかという普遍的課題にも通じている。

イカの養殖から社会の未来を問う——この思索と実践は、テクノロジーと社会の関係、経済と環境の調和、グローバル化と地域性のバランスといった現代社会の複雑な課題に対する、示唆に富む一つの解答を提示している。

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