心臓外科医が創業、完全ワイヤレス人工心臓に挑むHelioverse Innovations


本稿では、2025年10月6日に公表された東京大学協創プラットフォーム開発(東大IPC)が運営する起業家支援プログラム「1stRound」13期採択企業の一部をご紹介します。

世界には現在、約6,400万人の心不全患者が存在する(Global Burden of Disease Study 2019)。欧州心臓病学会(ESC)の研究によると、そのうち、人工心臓または心臓移植を必要とする重症患者は、年間約360万人が新規診断されている。彼らにとって人工心臓は命をつなぐ最後の砦だが、皮膚を貫通する電源ケーブルが約22%の患者に感染症をもたらし(Left Ventricular Assist Device Infections: A Systematic Review, PMC, 2018年)、時には命を奪う。風呂にも入れず、常にバッテリーを持ち歩く生活を、患者たちは「普通の生活を失った」と表現する。

この課題に真正面から挑むのが、Helioverse Innovationsだ。同社が開発するのは、人類初となる完全埋込型ワイヤレス電源と、カテーテルで植え込める超小型人工心臓。創業者兼CEOの黒田太陽氏は、5歳の頃から抱き続けた「機械の心臓とともに生き、心臓病で死ぬ人がいなくなる世界」という夢の実現に向けて、心臓外科医としてのキャリアを捨て、この壮大なプロジェクトに命を懸けている。

世界最高峰の循環器医療機関Cleveland Clinicからのスピンアウトという強力な基盤、日本が誇る村田製作所をはじめとする世界トップクラス企業からの技術陣、そして「次の革新は日本から」という確信。36年越しの夢が、いま動き始めている。

世界最高峰Cleveland Clinicからスピンアウトしたスタートアップへ

Cleveland Clinic Miller Family Pavilion
Photo by Cards84664 via Wikimedia
CC BY 4.0

黒田太陽氏が人工心臓に魅せられたのは、わずか5歳の時だった。「いつか人類は機械の心臓とともに生き、心臓病で死ぬ人がいなくなる」という壮大な夢を抱いた少年は、その後医師の道を選び、日本で心臓外科医として人工心臓治療に携わるキャリアを歩んだ。

しかし、日本での臨床経験を通じて、黒田氏は人工心臓技術の限界と、それを打ち破るには根本的なイノベーションが必要だと痛感する。そして2021年、36年越しの夢を叶えるため、彼は渡米を決断した。

目指したのは、オハイオ州クリーブランドにあるCleveland Clinicだ。この病院は、U.S. News & World Reportの評価で心臓病・心臓血管外科部門において30年連続(1995年から2024年まで)全米1位という圧倒的な実績を誇る。2021年、黒田氏は同院の歴史ある人工心臓開発チームに参画することに成功した。

黒田氏が担当したのは、90キロの牛を用いた完全人工心臓の動物実験だった。心臓を完全に切り取り、機械の心臓に置き換える──それはまさにSFの世界を現実にする作業だった。最先端の設備と世界トップクラスの研究環境。多くの研究者にとっては理想的な環境に思えただろう。

Cleveland Clinicは非常に素晴らしいところでした。大型機械がある工作場があって、動物舎があって、ラボがあって、プロトタイピングから実験までが一貫してできるんです。でも、そこをもってしても、日本で僕を待つ患者さんたちにデバイスをいち早く届ける未来が全然見えなかった。研究と製品化の間には大きなハードルがあると感じたんです。(黒田氏)

医療機器開発には膨大な時間とコストがかかる。特に人工心臓のような超ハイリスクデバイスは、FDA(アメリカ食品医薬品局)の承認を得るまでに10年以上を要することも珍しくない。アカデミアの研究ペースでは、黒田氏が医師として出会った患者たちが救われる日は来ないかもしれない。そこで彼は大きな決断を下す。

もう僕がフルコミットでビジネスとしてやっていくしかない。マーケットはアメリカしかない。(黒田氏)

2024年10月、黒田氏はアメリカ・オハイオ州でHelioverse Innovations Inc.を設立した。同社はCleveland Clinicの人工心臓研究からスピンアウト的に誕生した形となり、同院で培われた技術と知見を基盤としている。現在、黒田氏は無給フルコミットメントでこのプロジェクトに取り組んでいる。その覚悟の深さが伝わってくる。

一方で、技術開発の拠点は日本に置くという戦略的判断を下した。日本法人も立ち上げ、研究開発センターとして機能させている。アメリカで生まれたスタートアップだが、日本にも拠点を置いた理由は、追って後述するが、ワイヤレス給電技術やモーター技術など、この分野で日本企業が持つ技術力は世界トップクラスだからだ。

いろいろ技術を追い求めた結果、日本に最も信頼性の高い技術があることがわかったんです。(黒田氏)

Cleveland Clinicとの関係も継続している。同院は将来の治験のコア施設として位置づけるべく協議が進められており、全米ナンバーワンの施設から展開していくという戦略の要となっている。学術機関との良好な関係を保ちながら、ビジネスとしての自由度と意思決定のスピードを確保する──それが黒田氏の選んだ道だった。

電源ケーブルという最大の課題──患者が「普通の生活を失った」と呼ぶ現実

Madhero88 via Wikimedia
CC BY-SA 3.0

人工心臓の歴史は1960年代に遡る。アメリカでアポロ宇宙計画に並ぶ国家プロジェクトとして人工心臓プロジェクトが発足して以来、技術は着実に進歩を遂げてきた。特にこの25年間の進化は目覚ましく、成績は大幅に改善され、今では心臓移植までのブリッジ治療として、あるいは生涯使用を見越した長期的な治療法として、メインストリームの選択肢となっている。

現在、全世界には人工心臓をつけるか心臓移植をしなければ命を落としてしまう患者が、欧州心臓病学会の研究によると年間約360万人が新規診断されている。しかし心臓移植はドナー不足という根本的な問題を抱えている。特に日本では年間約80件程度しか実施されておらず(日本心臓移植研究会・2022年実績)、多くの患者は人工心臓をつけて心臓移植を待つことになる。実際に心臓移植の待機登録をしてから移植を受けられるまでには3年から5年も待たなくてはならない(福井循環器病院)。

技術的進歩にもかかわらず、人工心臓には依然として深刻な課題が残っている。その最たるものが、皮膚を貫通する電源ケーブルだ。

現在の人工心臓は、体内に植え込まれたポンプを駆動するために外部電源が必要だ。そのため、直径数ミリのケーブルが腹部の皮膚から突き出ており、体外のバッテリーやコントローラーと接続されている。この構造が、様々な問題を引き起こす。

最も深刻なのは感染症だ。ケーブルが貫通している部位から細菌感染を起こす患者は少なくない。皮膚という本来外界から体を守るバリアに恒久的な穴が開いているのだから、ある意味当然の結果とも言える。感染が重篤化すれば敗血症を引き起こし、最悪の場合は命を落とす。せっかく人工心臓で命をつないでも、感染症で失われる──これは医療者にとっても患者にとっても、極めて悔しい事態だ。

感染リスクだけではない。ケーブルが出ているため、患者は入浴が制限される。シャワーを浴びる際も特別な防水カバーが必要で、湯船につかることはできない。日本人にとって、入浴できないというのは想像以上のストレスだ。また、常に体外バッテリーを持ち歩かなければならない。寝ている間もケーブルとバッテリーに気を配らなければならず、自由な寝返りすら制限される。

実際の患者さんは「人工心臓はあまりにもしんどいから、一分一秒早く外して、心臓移植をしてくれ」とおっしゃっています。私たちがユーザーインタビューをした結果も同じでした。この電源ケーブル、なんとかしてくれということです。(黒田氏)

黒田氏がユーザーインタビューで直接聞いた患者の声は、統計データ以上に切実だった。人工心臓によって命は救われる。しかしそれは「生活の質」を大きく犠牲にした上での延命でもある。患者たちは心臓移植を受けられる日を待ちながら、この制約だらけの生活に耐えている。

医療者の側も、この問題を認識している。感染症の治療には抗生物質投与や毎日の創部処置、場合によっては人工心臓の交換手術が必要になる。患者の肉体的・精神的負担はもちろん、医療費の増大も深刻だ。感染症治療や再手術にかかるコストは、保険制度にとっても大きな負担となっている。

この電源ケーブルの問題は、人工心臓技術の「アキレス腱」と言える。ポンプの性能がどれだけ向上しても、耐久性がどれだけ改善しても、このケーブルが存在する限り、患者の生活の質は根本的には改善しない。そして感染リスクという生命に関わる脅威も消えない。黒田氏はこの課題に、正面から挑むことを決めた。ワイヤレス給電という、誰もが「できれば理想的だが実現は困難」と考えていた技術に、本気で取り組むことにしたのだ。

カテーテルで植え込める完全ワイヤレス人工心臓──3つの革新と日本の技術力

Image credit: Helioverse Innovations

Helioverse Innovationsが開発しているのは、従来の人工心臓の常識を覆す次世代型デバイスだ。その特徴は大きく3つの革新的要素に集約される。

  1. カテーテルによる低侵襲植込み …… 現在の人工心臓手術は、胸骨を20センチ以上縦に切開する大掛かりなものだ。骨をノコギリで切り、心臓を露出させ、人工心肺装置につないで心臓を止めてから、人工心臓を装着する。手術時間は数時間に及び、患者の体への負担は極めて大きい。術後の回復にも長期間を要し、高齢者や体力の落ちた患者にとっては手術自体が大きなリスクとなる。

    Helioverse Innovationsのデバイスは、肋骨の隙間、3〜4センチ程度の切開からカテーテルでアクセスする方式を想定している。将来的には、肩の血管からカテーテルを挿入できるレベルまでの小型化を目指す。これはまさに、心筋梗塞の治療でステントを留置する際に近い感覚だ。

    この低侵襲アプローチには複数のメリットがある。まず手術時間の短縮。患者の体への負担軽減。術後の回復の早期化。そして医療機関にとっても、手術室の占有時間短縮による効率向上が期待できる。
  2. 大動脈内留置による生理的血流 …… 従来の補助人工心臓は、心臓の心尖部にポンプの吸入口を差し込み、送出口を人工血管で大動脈に縫合する方式が主流だった。つまり血液を心臓から一度外に出し、ポンプを通して再び大動脈に戻すという「迂回路」を作る構造だ。

    しかしHelioverse Innovationsのアプローチは根本的に異なる。大動脈内に直接ポンプを留置する設計で、血液は心臓から出て、すぐに大動脈内のポンプで補助され、そのまま全身へと送られる。迂回路を作る必要がないため、血流がより生理的(自然な状態に近い)になる。
  3. 完全埋込型ワイヤレス電源システム …… これこそが、同社の最大の挑戦であり、最も革新的な要素だ。人工心臓が必要とする電力は、ペースメーカーの約1000倍に達する。この大電力をワイヤレスで安定的に供給し続けることは、これまで「理想ではあるが現実的ではない」と考えられてきた。

    Helioverse Innovationsは、ワイヤレス給電を行う電源ユニットそのものを体内に植え込んでしまうという大胆なアプローチを取る。この電源ユニットは、体外の充電装置から電磁誘導などの方式で充電され、蓄えた電力でポンプを駆動する。電源ケーブルを完全に排除することで、感染症のリスクは理論上98%削減される。

    この技術開発において、村田製作所から参画したワイヤレス給電の世界的スペシャリストの存在が大きい。村田製作所の細谷達也氏(名古屋大学客員教授)は、直流共鳴方式と呼ばれるワイヤレス給電技術の開発者であり、2013年にはワイヤレスパワーマネジメントコンソーシアム(WPM-c)を発足させ、企業チーム活動を先導してきた。

    世界トップクラスの電子部品メーカーの技術者が個人的に協力を申し出たという事実は、このプロジェクトの技術的意義と実現可能性を物語っている。さらに同社は、日本初の技術として、パワーエレクトロニクス技術を融合させる計画だ。発熱は体内埋込型デバイスにとって重大な問題で、周囲の組織にダメージを与える可能性があるためだ。この技術により、安全性と効率性を両立させることを目指している。

チーム編成も強力だ。黒田氏が「命をかける」と決意を語った時、Cleveland Clinicで引退しかかっていたベテラン研究者達が「一緒にやりたい」とチームに加わった。世界最高峰の医療機関で長年人工心臓開発に携わってきた研究者達が、安定した引退生活を選ばず、リスクの高いスタートアップに賭けた。黒田氏のビジョンと情熱が、そこまで人を動かしたのである。

日本側のチーム編成も豪華だ。トップレベルの循環器内科医、心臓外科医が参画している。黒田氏の先輩後輩、手術の師匠、循環動態の解析のスペシャリストといった、日本の循環器医療界のトップクラスの人材が集結している。

さらに、社名は開示されていないが、日本の大手自動車メーカーと小型高効率モーターの開発で協議している。また、大手ポンプメーカーとも連携している。医療用ポンプは、工業用ポンプとは異なる高度な要求仕様がある。血液を傷つけない、血栓を作らない、長期間安定動作する──これらの要求を満たすポンプ設計には、専門的な知見が不可欠だ。

そして、規制対応の専門家も早期からチームに加わっている。これは過去の教訓に学んだ戦略的判断だ。

過去にいろんな会社が、規制対応で躓いているところが多かった。ですので、もう規制対応を設計の段階から考えて設計していこうということで、日米の規制対応のスペシャリスト、ビジネスのスペシャリストに加えて、法律のスペシャリストまで今チームに加わっていただいています。(黒田氏)

医療機器、特に人工心臓のような超ハイリスクデバイスは、FDA承認を得るまでのハードルが極めて高い。規制要求を後から対応しようとすると、設計の根本的な変更を余儀なくされ、開発が頓挫することも珍しくない。

学術機関とのパートナーシップも充実している。早稲田大学とはシミュレーターによる課題抽出で共同研究を行っている。実際の体内循環を模した模擬回路シミュレーションにより、実際に製作する前に様々なパラメータを最適化でき、開発効率が大幅に向上する。国立循環器病研究センター(国循)とは、循環動態解析と動物実験で連携している。

国循は日本における循環器疾患研究の中核機関であり、ここで動物実験を実施できることは、日本での将来的な臨床試験への道筋という意味でも重要だ。「協力企業でプロトタイピングを行い、早稲田大学でシミュレーション解析、国循で動物実験というサイクルを高速で回す(黒田氏)」──まさにスタートアップらしいアセットフリーでアジャイルな開発手法だ。

大企業は要素技術を持っているが、リスクの高い新規事業への意思決定は遅くなりがちだ。一方、スタートアップは意思決定が速く挑戦的だが、リソースが限られている。両者が補完し合う関係を築けたことが、Helioverse Innovationsの大きな強みとなっている。

2030年アメリカ治験開始が目標──「勝者総取り」市場での戦略

Image credit: Towards Healthcare

Helioverse Innovationsのビジネス戦略は、技術開発と同様に緻密に練られている。現在の人工心臓市場は年間17億米ドル規模だが、2033年には33.8億米ドルに成長すると予測されている(Towards Healthcare、2025年)。心不全患者は世界的に増加傾向にあり、特に高齢化が進む先進国では需要が高まっている。同時に、新興国での医療インフラ整備に伴い、これまで治療を受けられなかった患者層への普及も期待される。

のビジネス戦略は、技術開発と同様に緻密に練られている。現在の人工は、この33.8億米ドル市場のうち約10億米ドル、つまり約30%のシェアを獲得できると見込んでいる。これは決して非現実的な数字ではない。人工心臓市場は「勝者総取り」に近い特性を持っており、最も優れたデバイスが市場の大半を獲得する傾向があるからだ。

同社のデバイスは1台12万米ドル(約1,800万円)という価格設定を想定している。これは現在の主要な人工心臓と比較して約15%高い。しかしトータルコストで考えると話は変わってくる。電源ケーブルが原因の感染症は、抗生物質治療や再入院、場合によっては再手術を必要とし、これらのコストは膨大だ。

アメリカでは感染症治療に数万ドルから数十万ドルかかることも珍しくない。同社のデバイスは感染リスクを98%削減するため、これらの追加医療費がほぼ発生しない。したがって、デバイス自体の価格は15%高くても、トータルの医療費は大幅に削減される。保険制度にとっても、患者の自己負担にとっても、そして何より患者の生活の質にとっても、優れた選択肢となる。

現在市場にある人工心臓は、従来型の長期使用可能な植込み型デバイス、カテーテルで植え込める短期使用型デバイス、開発中の完全植込み型デバイスに分類できるが、「低侵襲」「長期使用可能」「電源ケーブルなし」という3つの要素をすべて満たすデバイスは同社のものだけだ。これは圧倒的な競争優位性と言える。

同社は2024年10月の設立から、極めて短期間で体制を整えてきた。現在はNEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)の研究開発型スタートアップ支援事業などから支援を受けている。

最終的なマイルストーンは、2030年にアメリカで治験に進むことだ。これは決して簡単な目標ではない。プロトタイプから動物実験、前臨床試験、FDA申請、そして治験開始まで、通常は10年以上かかることも珍しくない。しかし黒田氏は、Cleveland Clinicとの関係、規制専門家の早期参画、そして日本の技術力を背景に、この野心的なタイムラインを現実的と考えている。

治験のコア施設としてCleveland Clinicを想定しているのは戦略的に正しい。最高峰の医療機関での成功事例は、他の医療機関への普及を加速させる。また、Cleveland Clinicは世界中から患者を受け入れているため、多様な患者層でのデータを蓄積できる利点もある。

基本戦略としてはアメリカを最初に取る方針だ。これには市場規模、規制環境、価格設定の自由度、投資環境といった複数の理由がある。アメリカは世界最大の医療機器市場であり、人口あたりの人工心臓使用率も高い。FDAの承認プロセスは厳格だが、一度承認されれば世界的な信頼性が得られる。多くの国がFDA承認を参照して自国の承認を行うため、FDA承認は事実上のグローバルスタンダードとなる。

ワイヤレスパワーマネジメントコンソーシアム(WPM-c)は、Helioverse Innovationsをユニコーンにする支援を表明した。しかし、興味深いのは、同社のユニコーンに対する姿勢だ。

正直、ユニコーンというものを目指しているわけでは全然ないんです。ただ人工心臓市場は特殊で、大きな市場があるけれど、王座に座れるのは一社だけなんです。(黒田氏)

この発言は、人工心臓市場の本質を突いている。一般的なスタートアップ市場では、複数の競合企業が存在し、それぞれが一定のシェアを持つことが健全とされる。しかし人工心臓市場は、その論理が当てはまらない。なぜなら、治療結果が「生きるか死ぬか」だからだ。

人工心臓を装着した患者の生存率というデータは、極めて客観的で明確だ。臨床データが蓄積されるにつれ、どのデバイスが最も優れているかが数字で示される。生存率70%のデバイスAと、生存率68%のデバイスBがあったとする。医師はどちらを選ぶか? 答えは明白だ。必ずAを選ぶ。価格とのバランスを考慮する余地もない。命がかかっている状況では、経済性の議論は意味をなさない。患者も家族も、医師も、最も生存率の高いデバイスを選ぶ。これは医療倫理上も当然のことだ。

この市場特性は、現在の市場構造にも表れている。AbbottJohnson & Johnsonという世界の医療機器大手2社が市場の大部分を占めている状況は、まさに「勝者総取り」に近い。ただし両社とも、自社で一から人工心臓を開発したわけではない。優れた技術を持つスタートアップを買収することで、市場に参入した。

もう一つの事例として、黒田氏は医療機器業界の超大手Medtronicを挙げる。同社は2016年にHeartWareを買収して人工心臓市場に参入したが、デバイスの故障率の高さと神経系有害事象の増加により、わずか5年後の2021年に市場から撤退した。承認以来15回ものクラスI(最も深刻な)リコールがあったことも影響した。これは人工心臓開発のリスクの高さを示すとともに、既存の大手企業が参入障壁に阻まれている状況を示している。

我々のデバイスが上市したら、市場のかなりの部分を取っていける。そうなれば利益が立つ。結果として、ユニコーンになってしまう。別にユニコーンを目指すわけじゃなくて、自然とそうなるという感じですね。ユニコーンという称号は、正直どうでもよくて、僕は早く待っている人たちにデバイスを届けたいだけなんです。(黒田氏)

イグジット戦略としては、IPO一択を考えている。AbbottによるSt. Jude Medical(2017年1月、買収額は250億米ドル)、Johnson & JohnsonによるAbiomed(2022年12月、買収額は166億米ドルで)など、業界大手がスタートアップを買収した例もあるが、そのタイミングは非常にレイターステージだ。FDA承認を取ってマーケットに出て、実績が出てからというケースが多い。これは超ハイリスクゆえに、大手が早期に手を出したがらないためだ。Heliverse Innovationsもまた、自分たちで最終段階までたどり着かなければならない。

「次の革新は日本から」──技術立国の復権を目指して

左から:CMO 高木健督氏(循環器内科医、国立循環器病研究センター)、CEO 黒田太陽氏(心臓外科医)、今岡拓郎氏(循環器内科医、国立がん研究センター東病院)
Photo credit: Helioverse Innovations

黒田氏は中学時代をアメリカで過ごし、2021年に再び渡米して現在5年目を迎えている。その経験を通じて、彼は日本という国のブランド価値を肌で感じてきた。経済成長率の低迷、少子高齢化など、近年「日本は落ち目だ」というニュースを耳にする機会が増えたが、それでも日本のポテンシャルは高いと黒田氏は考えている。

そして彼は、人工心臓の歴史が自分の確信を裏付けていると指摘する。

前回の人工心臓の革新は、日本の会社、テルモという会社からでした。それで大幅に成績が向上したんですね。僕は、次の革新も日本にあると信じています。(黒田氏)

Helioverse Innovationsが完全ワイヤレス人工心臓を実用化し、世界中の患者を救う日。その時、日本の技術力と、日本人の挑戦する姿勢が、改めて世界に認識されるだろう。

2030年のアメリカでの治験開始、そして実用化へ。その日まで、黒田氏のもがきは続く。しかしそれは、希望に満ちたもがきだ。日本の技術、アメリカの市場、そして世界中の患者──すべてが一つにつながる未来に向けて。

Growthstock Pulse