ゲノミクス・スタートアップGenomeMinerが変えるバイオテック業界


アメリカ人CEO兼共同創設者のEli Lyons氏が率いるGenomeMinerは、ゲノミクス解析の自動化プラットフォームを開発するスタートアップだ。2017年に本格的な事業を開始した同社は、大企業との共同研究を進めており、インドネシアやアメリカ市場への展開も積極的に推進している。

Lyons氏の経歴は異色だ。2011年に来日し、東京大学で博士課程の学生として研究を開始。その後、次世代シーケンシングと機械学習を創薬に応用する日本のスタートアップに共同創設者として参画した経験を持つ。博士研究に戻って論文を発表した後、現在の会社を共同創業するという、学術界と産業界を行き来する興味深いキャリアパスを歩んできた。

同社の革新的なクラウドベース解析プラットフォームは、幹細胞研究から農業バイオテクノロジーまで幅広い分野で活用され、日本のバイオテック産業の国際競争力向上に貢献している。

クラウドプラットフォームで目指す、ゲノミクスビジネスのスケーラビリティ

従来のアカデミアやディープテック企業は、創業プロセスにおいて高性能計算クラスターや社内サーバーによるオンサイト計算を採用してきた。一方、製薬業界は世界的にクラウドへの移行を進めている。中外製薬やサノフィによるGoogle Cloud採用、武田薬品やファイザー、アストラゼネカによるAWS(Amazon Web Services)採用などがその典型だ。

こうしたクラウド移行のトレンドは、クラウドベースの解析プラットフォームを開発・提供するGenomeMinerにとって追い風となっている。

我々のプラットフォームはGoogle Cloudを基盤として動作しています。需要に応じてサーバーを立ち上げ、データ処理中のみ稼働させ、処理完了後にはサーバーを停止します。複数の解析を並行して実行できるため、大量のデータを効率的に処理することが可能です。

自動化されたバイオインフォマティクスプラットフォームが必要な理由は明確です。この種の自動化はますます日常的になり、特に機械学習の時代においては大量のデータを規模をもって収集する必要があります。(Lyons氏)

しかし、この「スケール」という概念こそが、日本市場において最大の課題となっているとLyons氏は指摘する。

ディープテック分野での「スケール」という言葉は、日本語では英語と同じ印象を与えないか、適切に翻訳されていない可能性があります。ITやソフトウェアの分野でスケールの価値が明確に理解されているのと対照的です。これは、日本が製造業における大規模生産の経験は持っているものの、ITやソフトウェアにおけるスケーラビリティの重要性を文化的に実感する機会が少なかったからではないでしょうか。(Lyons氏)

ITやソフトウェアと同様、ゲノミクスにおいてもスケールが重要なのは、それがスループットやリソース配分に関連するからだ。GenomeMinerのプラットフォームでは、並列処理により大量のデータを効率的に処理することで、従来のアプローチでは実現できなかった処理速度と効率性を実現している。

事業転換の決断と技術進歩

2024年に京都で開催されたヘルスケアスタートアップイベント「HVC」でピッチするEli Lyons氏。
Photo credit: GenomeMiner

同社のプラットフォームは現在、幹細胞研究において細胞の品質評価を自動化し、エピジェネティックマーカーや遺伝子発現を分析することで、細胞の若さや老化の特徴を判定できる。これにより、クライアント企業は内部のR&Dプロセスを最適化し、優良製造基準の開発を促進することができる。

しかし、創業当初はスケーラブルな製品を作ることは困難だったという。

創業から1年以内に培養肉会社などの顧客を獲得したものの、2つの課題に直面しました。第一に、個別企業の特定ニーズに対応することで、多様なバイオインフォマティクス用途に適用できるスケーラブルな製品の開発が困難になったこと。第二に、多くの企業が明確なバイオインフォマティクス戦略やロードマップを持っていなかったことです。(Lyons氏)

このような背景から、同社は重大な決断を下した。当初の顧客企業への受託サービスから方向転換し、自社独自の研究開発プロジェクトを立ち上げることにしたのだ。この自社プロジェクトでは、沖縄の土壌から商業的価値を持つ微生物を採取・スクリーニングし、そのデータを基に新たなゲノミクスプラットフォームを構築する取り組みを行った。

GenomeMinerの技術発展において重要な転換点となったのが、処理するデータの種類の変化だ。当初は技術的な制約から非常に小さい微生物のデータを処理していたが、近年はヒトのデータの処理量を増やし始めた。これは将来的にGenomeMinerがヒトのための治療薬開発により高い確率で貢献できるようになることを意味する。

こうしたビジネスモデルの変化の中で、GenomeMinerは将来の資金調達やビジネス開発の観点から、アメリカ進出をほぼ必須条件と考えている。

日本では、ディープテック分野の投資家は、経験の長い教授が多くいる大学からスピンアウトしたスタートアップに投資したがる傾向があります。アカデミアバイアスですね。でも、発表した論文が多いからといって、その研究をもとにした事業の可能性の証明にはならない。もしそうなら、そういった大学発スタートアップは、もっと成功しているはずです。

日本には一般的に言って、非常に高いレベルの科学技術スタッフがいて、技術的ノウハウがあります。しかし、私が考えている種類の実験や作業を行った場合、予算がないため最も先進的なものにはならないのです。この問題を解決するには、もっと多くの機関が共有のコア施設を持ち、人手を含むリソースの拠出の点でも協力を深める必要があるでしょう。(Lyons氏)

バイオテック業界でも起きるリープフロッグ現象

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GenomeMinerの成長戦略において重要な転換点となったのは、日本の上場化学企業との協業である。前述の沖縄の土壌プロジェクトで農業用途の抗菌候補をいくつか特定し、そのうちの一つは現在も実証研究が継続中だ。

「この化学企業との協業が非常に良かったのは、協業について議論する際に非常に明確な目標を設定できたからです。例えば、彼らが求める特定の用途に対して、我々が微生物をスクリーニングする対象を選択できました。こうして、理想的な協業を実現できました。」(Lyons氏)

国際展開では、GenomeMinerはインドネシアとアメリカをターゲットとしている。これは市場の特性を踏まえた戦略的判断だ。特にインドネシアでは、既存システムに縛られない柔軟性と迅速な意思決定が可能な環境があるという。

例えば、日本で微生物を使った発酵製品を開発する会社と話す場合、その会社には既にITメンバーが2人、バイオインフォマティクスの担当者が1人いて、内部サーバーも社内に持っている可能性があります。この場合、何らかの新しいクラウドベースのソリューションを使用することに対して抵抗があるわけです。

対照的に、インドネシアでは、企業は既存の仕組みが導入されておらず、そうしたしがらみがなく、収益につながる新製品開発に集中できる環境を作り出せます。経営層からのトップダウンで意思決定がなされるので判断スピードも速い。こうした市場特性は、当社のようなスタートアップにとっては有利に働きます(Lyons氏)

これは、発展途上国が従来の技術段階を飛び越えて最新技術を導入する「リープフロッグ現象」の一例と言える。インドネシアは人口2.8億人を超える大国であり、医療ツーリズムの発展や幹細胞製品を購入できる富裕層の存在など、市場としてのポテンシャルも大きい。実際に、インドネシア最大級の企業の1つが同社のプラットフォームを限定的に利用しており、病院や製薬会社との積極的な協議も進めている。

一方、アメリカでは、人々は自動化やゲノムソリューションに非常にオープンで、GenomeMinerにとっては好都合だ。Lyons氏はアメリカ人であるし、資金調達やビジネス開発の観点からも、GenomeMinerのビジネスを成長させる上でアメリカ市場は避けて通れない。同社はアメリカ市場進出にあたって、JETRO(日本貿易振興機構)から多くの支援を受けた。

GenomeMinerが求める協力関係について、Lyons氏は明確で具体的なビジョンを持っている。特に重要視しているのは、オープンな議論ができる関係性だ。

規模の拡大やデジタルトランスフォーメーションを確実に望んでいる企業との協力を求めています。こうした動きは今後数年間でますます重要になり、それを行わない企業は困難に直面するでしょう。

我々はデジタルトランスフォーメーションをどのように行うか、我々の仕事にもっとゲノミクスを組み込むにはどうすればよいか、そしてそれが我々の製品をより良くするかという問いに対して、オープンな議論のための初期アウトリーチを歓迎しています。(Lyons氏)

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