
2025年9月29〜30日、沖縄科学技術大学院大学(OIST)で、OIST Innovationとライフタイム・ベンチャーズの主催により、ディープテックに特化したスタートアップカンファレンス「Startup Elevate」が開催されます。本稿では、このイベントに参加したスタートアップの一部をご紹介します。
世界規模で拡大するアンメット・メディカル・ニーズ(有効な治療法が存在しない、または治療法が十分でない医療課題)に対して、日本発の革新的な技術で解決策を提示しようとするバイオスタートアップがある。名古屋大学発のCrafton Biotechnologyは、独自の超高純度キャップ化技術「PureCapアナログ」を武器に、既存のmRNA(メッセンジャーRNA)医薬品の課題を解決し、安全で有効性の高い医薬品の創出を目指している。
2024年10月10日、同社は渡辺勇人氏(上の写真左)が代表取締役社長CEOに就任することを発表した。20年以上にわたる投資経験を持つ渡辺氏が、「投資される側」として経営の舵取りを担うことになったのだ。2022年の設立以来、公的資金やベンチャーキャピタルのシードマネーを活用しながら、コロナワクチンでの技術実証から、がんワクチンなどの創薬パイプライン構築へと事業を拡大している。
同社の技術と事業戦略は国内外で高く評価されており、2024年3月には、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)のディープテック・スタートアップ支援事業STSフェーズに採択され、2025年9月には沖縄で開催された「Startup Elevate 2025」のヘルスケア部門でBest Pitch Awardを受賞した。世界のmRNA市場でモデルナ、ビオンテック、ファイザーが先行する中、独自のポジションを築こうとするCrafton Biotechnologyの挑戦が始まっている。
革新技術「PureCap」がmRNA医薬品の課題を解決

mRNA医薬品は、コロナ禍でファイザーとビオンテックの連合やモデルナのワクチンが広く接種されたことで一般に知られるようになった。しかし、この画期的な技術には根本的な課題が存在していた。従来のmRNA製造では、酵素を用いた試験管内転写反応により調製される際に、分離が困難な不純物が生成されてしまう問題があった。
製造工程で「2重鎖RNA」や「未キャップ化mRNA」と呼ばれる出来損ないのmRNAが含まれてしまい、これらの不純物が体内に入ると、炎症反応を引き起こし、本来のワクチン効果を阻害してしまう可能性があるという。
この副反応の大きな原因がこれらの不純物なんです。2重鎖RNAやキャップ化されていないmRNAですね。これらを取り除くのは非常に困難なのですが、それを可能にしたのがPureCapです。(渡辺氏)
PureCapアナログにより、従来のcapアナログを使ったmRNAと比較して炎症反応を約半分に抑制しながら、抗体反応は6倍以上向上させることに成功している。
同社の技術力を示す具体的なデータとして、がんワクチンでの動物実験結果がある。皮膚がんを植え込んだマウスに対してPureCapアナログを用いたワクチンを投与したところ、ワクチンを投与しなかった群と比較して腫瘍サイズが4分の1以下に抑制された。
HPV(ヒトパピローマウイルス)関連がんは世界で年間60万人が新たに発症し、30万人が死亡する深刻な疾患だが、現在の治療法では生存期間が10〜13ヶ月程度に留まり、免疫チェックポイント阻害剤でも有効率は約20%という状況だ。
HPVウイルスの保有者は、成人人口の80%が保有しています。HPVウイルスは、いろんながんを引き起こします。子宮頸がんや頭頸部がんなど、非常に悪性度の高いがんになるものです。我々の技術は、新たな治療選択肢となる可能性を秘めています。海外のトップがんセンターとの共同研究を通してこれを実現して行きます。(渡辺氏)
同社は、従来のmRNA製造技術だけでなく、世界初の化学合成mRNA技術の開発にも取り組んでいる。NEDOのディープテック・スタートアップ支援事業では、この化学合成技術での採択を受けており、技術の幅をさらに拡大している。
投資のプロが描く創薬ベンチャーのビジョン

左から:Crafton Biotechnology代表取締役社長CEOの渡辺勇人氏、Angel Bridge創業者兼CEOの河西佑太郎氏、Lifetime Ventures創業者兼ジェネラルパートナーの木村亮介氏、OIST副理事長のGil Granot-Mayer氏。
Photo credit: Growthstock Pulse
渡辺氏は大学院修了後、証券会社で製薬企業等のM&Aに関わり、その後、銀行や証券会社の投資部隊で投資業務に携わった。産業革新機構(INCJ)ではバイオ・創薬ベンチャーとの関わりを持ち、アーリーステージや再生医療分野での投資を担当。その後、フィデリティの自己勘定投資部門であるEight Roads Venturesでも日本のバイオベンチャーの設立・投資等に関わった。特にバイオベンチャー投資では多くのアカデミア発案件を手掛けてきた経験を持つ。
Crafton Biotechnologyとの出会いは、同社の取締役を務める河田喜一郎氏を通じてだった。同社の創業者である名古屋大学の阿部洋教授と東京医科歯科大学(現在の東京科学大学)の内田智士教授と面談した渡辺氏は、彼らの科学への真摯な姿勢に心を打たれたという。
産業革新機構やその後のEight Roadsで投資を始めた頃、数多くの大学発ベンチャーを見てきました。優れた技術を持つ研究者たちでしたが、「ビジネス戦略や事業開発、会社経営については私たちには分からないので、全てお任せします」と言われることがほとんどでした。(渡辺氏)
大学の研究者は技術開発には長けているものの、ビジネス面での経験が不足していることが多い。そうした中で、20年以上の投資経験を持つ渡辺氏の参画は、同社にとって技術とビジネスの両面を兼ね備えた貴重な経営リソースとなった。
2024年10月に社長就任を決断した渡辺氏は、グローバル展開を前提とした戦略的なチーム構築を進めている。2024年4月にはアメリカに子会社を設立し、mRNAバイオベンチャーとCDMO(医薬品受託製造機関)での豊富な経験を持つKelvin Chan氏(トップの写真右)をCTO(Chief Technology Officer)兼 CBO(Chief Business Officer)として迎え入れた。
共同創業者の阿部先生も内田先生も「自分たちが開発した技術が最終的に患者さんに投与され、治療に役立つのであれば、どんなことでも協力します」と言ってくれました。その言葉に心を打たれました。(渡辺氏)
国家プロジェクトと民間創薬の二軸戦略

Crafton Biotechnologyの事業戦略の巧妙さは、国家プロジェクトでの技術実証を通じて基盤技術の信頼性を確立し、そこから収益性の高い民間創薬事業へと展開していく点にある。
同社は厚生労働省の外郭団体であるAMED(日本医療研究開発機構)が設立したSCARDA(先進的研究開発戦略センター)から多額の助成金を獲得している。これは日本のワクチン事業の基盤を確立することを目的とした国家プロジェクトの一環だ。2027年には第1相臨床試験で安全性と抗体反応のデータが出る予定で、PureCap技術が実際の人体で安全性と有効性を証明する「プルーフ・オブ・プリンシプル(PoP)」を確立できる。
国から多額の助成金を受けたのは、mRNAワクチンの製造プラットフォームを構築することが主目的でした。SCARDAプロジェクトの大きな狙いは、ワクチン製造に必要なものを全て国内で調達できる体制を整備することです。原材料から投与用デバイスまで、すべて国内メーカーで生産可能にするというのが特徴です。(渡辺氏)
この取り組みにより、原材料から投与デバイスまでの完全国内調達を前提としたワクチン製造体制を構築し、パンデミック等の緊急時にサプライチェーンが混乱しても対応できる自立的な基盤の確立を目指している。
この戦略は、コロナ禍に日本が直面した「ワクチン敗戦」の教訓を踏まえたものだ。当時、日本は海外からのワクチン供給に依存せざるを得ず、国産ワクチンの開発は大幅に遅れた。同社の技術が確立されれば、次のパンデミックにおいて日本が同じ状況を繰り返すリスクを大幅に軽減できる。
一方で、渡辺氏は国家プロジェクトの限界も明確に認識している。
コロナワクチンの開発は社会的意義が非常に高い取り組みですが、ベンチャーとして取り組むには、特に市場性に限界があります。一方で、がんワクチン市場は急速に拡大しており、当社のPureCap技術はがん治療分野で安全かつ高い効果を発揮する可能性があります。そこでがん研究機関や製薬企業などとの共同研究を開始し、収益性の高い創薬パイプラインとして育成していく方針です。(渡辺氏)
2024年1月26日、同社は東京医科歯科大学(現在の東京科学大学)から「東京医科歯科大学発ベンチャー」として正式に認定された。同社は名古屋大学と東京医科歯科大学という2つの有力大学からの技術基盤を持つことが公式に認められた形となった。
グローバル市場での競争と資金調達戦略

Photo credit: Crafton Biotechnology
日本のバイオベンチャーが直面する大きな課題の一つが、国内の規制環境の制約だ。mRNAは感染症領域を除く国内開発について、現状では規制対応の観点からハードルがあると認識しており、同社では海外での臨床試験を前提とした開発戦略を採用している。
例えば、オーストラリアは治験環境が整っており、多民族の国民構成により安全性データの信頼性も高く、現地に子会社を設立すれば臨床試験費用の50%を補助する制度も設けられている。グローバルバイオベンチャーの臨床試験拠点として急速に存在感を高めているのだ。
世界のmRNA市場では、アメリカを中心に約50〜100社のベンチャー企業が活動している一方、日本では上場企業であるNANO MRNAのほか、Crafton Biotechnologyを含む数社程度という状況だ。渡辺氏は競合環境について、国内の他のmRNAベンチャーは全て従来技術を使っており、同社のような基盤技術を持っているところはないと差別化ポイントを強調する。
京都大学のiPS細胞研究所は、iPS細胞技術を世界中の研究機関に非独占でライセンス提供しています。我々も同様のアプローチを取りたいと考えています。自社では当然、PureCap技術を独占的に使用しますが、競合しない分野であれば他社にも非独占ライセンス供与していく方針です。(渡辺氏)
この戦略により、同社は自社創薬での独占的な技術活用と、他社からのライセンス収入という複数の収益源を確保できる。京都大学がiPS細胞技術で実践しているように、基盤技術を広く普及させることで日本のmRNA創薬エコシステム全体の底上げにも貢献し、技術のデファクトスタンダード化を狙う戦略的な取り組みと言える。
バイオベンチャーの事業戦略として、自社創薬に加えて受託開発製造(CDMO)事業を並行して進めるハイブリッド型のビジネスモデルを採用する企業も多い。安定した受託収入を確保しながら、リスクの高い創薬事業を支えるという考え方だ。しかし、渡辺氏は異なる戦略を選択した。
CDMO事業よりも創薬事業に集中すべきだと考えています。私たちはCDMOを、製造面における深い専門知識を提供してくれる重要なパートナーと位置づけています。しかし、最終的に私たちはサービス業ではなく、研究開発型の企業です。
フォーカスすることで、限られたリソースを得意分野に集中させつつ、信頼するCDMOパートナーの知識と能力を活用することが可能となり、設備投資に依存した事業モデルを回避できます。私が経営参画する条件として、「社長をやらせて頂けるのであれば創薬に特化する」ことを明確にしました。(渡辺氏)
バイオベンチャーが直面する最大の課題の一つが、シード後期からシリーズAまでの期間、いわゆる「デス・バレー」と呼ばれる資金調達の難しい時期だ。現在、同社は5億円のシードプラス調達を進行中で、この資金はHPVがんワクチンの前臨床試験とCMC(化学・製造・品質管理)の改善に充当される予定だ。
政府系資金の活用は技術の妥当性を示す一方で、民間投資家からは依存性を懸念される場合もある。しかし、同社の資金調達戦略で注目すべきは、事業会社からの戦略的投資も組み合わせている点だ。これにより、単なる資金調達を超えて、技術のバリデーションと将来の事業提携の可能性を同時に確保している。
投資を受けることはすべてのスタートアップにとって最も重要なことです。我々も積極的に資金調達を行っています。日本では複数の助成金を獲得済みですが、年末までには投資も獲得できるかもしれません。アメリカの投資家とも話をしており、彼らは我々がアメリカ市場に展開するのも支援してくれるでしょう。(渡辺氏)

グローバルなmRNA市場では、今年だけ見ても、アメリカのAbbVieがCapstan Therapeuticsを21億米ドルで、ドイツのBioNTechもCureVacを総額17億米ドルで買収するなど、mRNA分野では製薬大手による買収が活発化している。
臨床試験の結果が良好で、市場性の高い疾患を対象としていれば、第1相臨床試験の段階でも買収される可能性があると渡辺氏は市場環境を分析する一方、IPOも視野に入れた柔軟なエグジット戦略を維持している。
2027年がまず重要なマイルストーンとなり、SCARDA事業でのコロナワクチンの第1相臨床試験データにより技術のプルーフ・オブ・プリンシプルが確立される。並行して進行するHPVがんワクチンの開発も、3年程度で前臨床試験から臨床試験への移行を目指している。
同社は今後、シリーズA(約20億円)、シリーズB(同程度)の資金調達を段階的に実施し、複数パイプラインの同時進行を実現する計画だ。また同時に、同社の挑戦は、単なる企業成長を超え、日本の医療安全保障確立という使命を負っている。
SCARDAから助成金をいただいた主目的は、パンデミック対応のワクチン製造基盤確立でした。この国家プロジェクトでの実績をもとに、収益性の高い創薬事業でも成功事例を示したいと考えています。(渡辺氏)
この発言の背景には、深刻な医薬品貿易赤字がある。財務省統計では輸入超過額が年々拡大し、特にバイオ医薬品の海外依存度が高い。創業者の阿部洋教授も2022年の設立記者会見で「貿易赤字拡大への強い危機感から起業した」と語っていた。
同社の戦略は日本のmRNAベンチャー全体を底上げし、海外投資家の関心も高める。基礎研究を実用化してグローバル企業に育てる過程は、科学技術立国戦略の体現でもある。
技術面では、高額ながん免疫療法へのアクセス改善にも貢献する。HPV関連がんでは特に術後の再発予防・治療ワクチンの組み合わせで疾患撲滅も視野に入る。PureCap技術による安全性・有効性向上は、より多くの患者への治療機会拡大という社会的インパクトを生む。
モデルナやビオンテックがコロナ禍で実証したように、優れたmRNA技術は短期間で巨大な市場価値を創造する。技術実証から事業化、そしてグローバル企業への成長という道筋を同社がどう歩むのか、その挑戦が日本のバイオ産業の未来を決する試金石となる。