この記事は、仙台市経済局スタートアップ支援課との協力によりお届けします。紹介するスタートアップは、2025年8月23日に開催された仙台市主催のグローバルスタートアップイベント「DATERISE! 2025」のピッチコンテストで優勝し、その特典を活用して2025年11月にシンガポールを訪問し、現地での事業展開に向けた活動を行う予定です。
東北大学発のヘルステックスタートアップ、アイラトが、放射線治療の現場に革命をもたらそうとしている。同社が開発する「RatoGuide(ラトガイド)」は、AI技術を活用した放射線治療計画支援ソフトウェアで、通常6時間を要する治療計画の策定をわずか20分に短縮する。がんの三大治療法の一つである放射線治療において、特に高度な技術が求められるIMRT(強度変調放射線治療)の計画策定を劇的に効率化し、医療現場のDX推進と治療の質向上を同時に実現しようとしている。
共同代表 代表取締役の角谷倫之氏(上の写真右)は、東北大学大学院医学系研究科放射線腫瘍学分野の講師として、放射線治療の臨床現場で長年研究を重ねてきた医療従事者であり、研究者でもある。自らの研究室で10年にわたって開発してきた技術を社会実装するため、2022年3月に共同代表の木村祐利氏(上の写真左)とともに起業を決意した。ニッチな領域ゆえ大企業へのライセンス供与でのビジネスは難しく、「もう自分でやるしかない」という強い使命感が創業の原動力となった。
創業から3年半を経た2025年6月、アイラトはプレシリーズAのファーストクローズで4.6億円の資金調達を完了。さらに同年8月には仙台市主催のグローバルスタートアップイベント「DATERISE! 2025」のピッチコンテストで優勝を果たし、仙台から世界へ挑戦する姿勢を明確に示している。現在、第1世代プロダクトの医療機器承認申請を完了し、2026年1月の販売開始を目指す段階にある。
大企業が見向きもしなかったニッチ領域──研究室で10年温めた技術

Photo credit: Tohoku University Startup Incubation Center
角谷氏がアイラトを創業した背景には、放射線治療分野における深い知見と、それを社会実装したいという強い思いがあった。東北大学の講師として医療従事者であると同時に、自身の研究室を持ち、放射線治療技術の開発を10年ほど続けていた。現在のRatoGuideの基盤となる技術を、その間ずっと作り続けてきた。
当初は大企業へのライセンス供与も検討したが、放射線治療という領域の特殊性が壁となった。放射線治療を扱う企業自体が少なく、社会実装を担ってくれるパートナーを探したが見つからなかった。結局、自分でやるしかないという結論に至った。
共同創業者の木村祐利氏は、角谷氏の研究室で博士課程に在籍していた教え子だ。二人は一緒に研究室で開発を進めてきた仲間であり、世界的なレベルの技術を本当に社会実装し、世界に進めていこうという共通のビジョンを持っていた。
木村氏は以前、地方の病院で医学物理士として勤務しており、人によって治療計画の質に差が生まれてしまうこと、品質の差を埋めようと思っても近くに放射線治療の経験が豊富な施設がなく改善が難しいことを身をもって感じていた。
その後東北大学の博士課程に進み、放射線治療AIの研究をスタート。現場での経験から、次の時代の変化が必ず来ると確信していた。放射線治療が扱うデータの多くは画像や電子データであり、画像認識が得意なAIとの親和性が非常に高い。事業としても十分に成立すると判断したのだ。
2032年までの野望──「人間医師を超える」治療計画を実現へ

Photo credit: AiRato
アイラトのプロダクト戦略は、2032年までに3つのフェーズに分けて段階的に進化させていく計画だ(ちなみに、この3つのフェーズは臨床試験の第Ⅰ相、第Ⅱ相、第Ⅲ相とは異なり、開発されたシステムの機能がバージョンアップしていることを意味している)。この段階的なアプローチの背景には、明確なビジョンがある。
我々は単なる業務改善ソフトではなく、放射線治療のパフォーマンスを最大化できるような、人を超えるような計画を作って、治らなかった人を治すことを目指しています。(角谷氏)
そもそも放射線治療の計画策定とはどのようなプロセスなのか。医師が治療計画を立てる際、放射線をどこからどう当てるか、がんがどこにあるかを、これまでの経験に基づいて判断してきた。
この治療計画には大きく分けて3つのプロセスがある。
- 腫瘍の抽出作業
- 100ショット程度の放射線ビームをどこから打ち込むかを決める照射領域決定
- 計画した治療が患者に正確に実施できるかを確認する作業
アイラトはこの3つのプロセス全てをAI化することで、段階的に「人を超える」治療計画の実現を目指している。
第1世代のエントリーモデルは、創業から約3年でほぼ完成し、2026年の早い時期から販売開始できるかもしれない。この第1世代では、経験豊富な医師が通常行うレベルの治療計画をAIが自動生成する。
第2世代では、これらのプロセスをAIが自発的に最適化していく。どの要因のせいで実際に治らなかったのか、逆になぜ治ったのかは、実は現状では十分に解明されていない。だから第1世代でロンチした結果を分析しながら、第2世代以降では自発的に人を超えるレベルまで作り込んでいくアプローチを取る。同社は現在、第2世代の開発も並行して進めている。
競合製品との最大の違いは、治療計画の3つの主要プロセス全てをAI化しているところです。(角谷氏)
では、ここで、それら3つの主要プロセスを見てみることにしよう。
第一に、臓器の自動輪郭抽出(セグメンテーション)機能。CT画像200枚ほどに対して、肝臓や肺などの正常組織を自動的に囲む作業をAIが行う。通常であれば、ペイントソフトのように1枚1枚ミリ単位で手作業で描いていく必要があるが、この作業をAIが自動化する。他社製品と比べても、アイラトはほぼすべての臓器に対応するところまで作り込んだ。
第二の機能は「Good Plan」と呼ばれる照射設計の自動化だ。どこから放射線を当てるかを、本当に治療効果が高いと考えられるデータに基づいて、AIが適切に照射設計を決定する。導入施設が自分たちのデータを入れて業務改善する製品が多い中で、アイラトでは、どこの施設でも質の高い計画ができるよう、より上位概念のソフトウェアを構築している。
第三が安全性検証機能だ。通常、放射線技師が検出器で実際に計画通りに放射線が当たるかを測定する作業に約1時間かかる。これを過去のデータから、この計画であれば安全に照射できると判定するAIを開発した。他社はまだそこまで到達していないため、この3つの治療計画のメインプロセスを全てAI化して、全て自動的にできるところまでやり切っているのが同社の強みだ。
この包括的アプローチは、医療現場に大きなインパクトをもたらす。IMRT治療において、通常6時間を要する治療計画が約20分に短縮され、頭頸部がん、前立腺がん、肺がん、子宮頸がんなど幅広い適用領域に対応している。医師の経験による治療成績のばらつきや、医療スタッフ不足の解決につながることが高く評価されている。
営業拡大に向けた「真のパートナー」探し

CC0 Public Domain Image via Flickr by US Department of Agriculture
アイラトの市場戦略は、まず国内で確実な実績を作り、それを梃子に海外展開を図るというものだ。現在、日本国内には約900の放射線治療施設があり、同社はまず自らのネットワークを活用した直販で市場開拓を進めている。直販で手が届かない先には、代理店制度による拡大販売も検討している。
専門性が高いプロダクトなので、代理店の方にドアノックだけお願いして、また我々アイラトのメンバーが説明しに行くとなると、直販と手間は変わらなくなってしまう。代理店になっていただけそうな各社とは、それ以上のシナジーを生み出せるかどうか、真に価値あるパートナーシップを模索している段階です。(角谷氏)
製品ラインナップは2つある。本命のRatoGuideは医療機器認証が必要なため、現在PMDA申請中だ。一方、先行販売している「RatoCheck(ラットチェック)」は認証不要のため、既に市場に投入されており、これまでに、大学病院やがんセンターなど大規模医療機関に4台程度が導入されている。
RatoCheckは、医療機関が通常通り手動で治療計画を立てた後、その計画をAIが評価し、「AIならこう計画する」という結果を示すチェック機能を持つ。ただし、医療機器に該当しないという性質上、限界もある。AIが「こちらの方が良い計画です」と示しても、その計画を実際の治療に採用することはできず、あくまで参考情報として比較するに留まる。
アジア展開と北米参入──住友商事提携、FDA承認、そして人材確保

Creative Commons License
2025年7月、アイラトは住友商事と海外独占代理店契約を締結し、アジア市場への本格進出に向けた体制を整えた。住友商事のライフサイエンス事業部門は、1970年代から医薬関連ビジネスを手掛け、製薬会社向けの創薬研究・開発支援、原料供給を行うとともに、販売・マーケティングや製造受託などのサービスを提供してきた。
今回の提携は、医療機関向けの医療技術支援事業を新たな柱とする戦略の一環だ。住友商事は不妊症・不育症検査を行うスタートアップAOI Biosciencesへの出資に続く第二号案件として、日本発医療系スタートアップの高い技術とグローバルネットワークを掛け合わせ、世界中に医療支援事業を拡大していく方針だ。
規制面での戦略も明確だ。日本のPMDA(医薬品医療機器総合機構)とアメリカのFDA(食品医薬品局)が最も厳しい規制当局であり、この2つで承認を取得できれば、他のほとんどの国でも承認が得られるだろうという見通しを持っている。グローバル展開において、日米の承認取得が他国展開の鍵になるという認識だ。
グローバル展開を加速させる一方で、アイラトは組織体制の強化にも取り組んでいる。急速に成長するスタートアップにとって、人材確保は常に最重要課題の一つだ。
メインプロダクトである医療機器がまだ薬事承認を取得できていないため営業していない。したがって現時点で求められている人材は、開発、特にAIエンジニアだ。同社ではさまざまな人材を採用しているが、まだまだ足りず、常に探し続けている状況だという。
もう一つの課題は、営業戦略を統括できるCxOレベルの人材だ。現在は角谷氏自身が営業戦略を考えているが、グローバル展開に強く、明確な戦略を立てられる人材を探しているという。
2025年6月のプレシリーズA調達では、ニッセイ・キャピタルがリード投資家となり、住友商事、七十七キャピタルが新規投資家として参画、既存投資家のmint、地域と人と未来(Central Japan Seed Fund)、GxPartners LLPも継続支援している。この資金を活用して、組織体制の強化を図る計画だ。
同社では現在、「放射線治療ですべてのがん患者を救う」という使命の実現のため、開発エンジニア(AI, UI)、技術営業、ボードメンバーなど、事業・サービスを共に創り上げるメンバーを募集している。正社員・業務委託ともに募集しており、グローバルな視点を持つ人材を求めている。
DATERISE!優勝が証明した「ディープテックの正解」

Photo credit: Sendai City
2025年8月23日、仙台市主催の初の大規模グローバルスタートアップイベント「DATERISE! 2025」が開催された。このイベントは、「SENDAI to Global!」をテーマに、仙台・東北から世界に羽ばたくスタートアップ、学生起業家、未来の挑戦者たちを応援する多彩なプログラムが展開された。
メインプログラムとして、海外進出を目指すスタートアップを対象としたピッチコンテストが開催され、多数の応募者から選抜された11社が事業内容や挑戦にかける思いを発表した。優勝者にはシンガポールでの支援プログラムが提供され、海外展開に向けた機会が与えられる。
他のスタートアップはディープテックで技術はあるけど、何に使うかがよくわからないというのが多い中で、我々のプロダクトははっきりしている、世界でも勝てる雰囲気がすごいすると審査員から言われました。(角谷氏)
熾烈な競争の中、アイラトが見事優勝を果たした。審査では、放射線治療計画の自動化・高度化による医療現場の負担軽減と治療アクセス向上という社会的インパクトが評価された。さらに、臨床データに基づくAIアルゴリズムの継続的な改良と医療現場での運用ノウハウ、アジアを含む市場における医療課題への貢献と事業化に向けた戦略的方針も認められた。
この評価の背景には、アイラトが「ディープテックあるある」を回避できた点がある。多くのディープテックスタートアップは技術は素晴らしいものの、具体的な用途が定まっていないという課題を抱えている。しかしアイラトは、大学での研究段階から既にアプリケーションが明確だった。開発の最中から、何に使うのかが見えていたのだ。
AI技術そのものではアメリカには勝てません。だからこそ最初から放射線治療という特定領域にフォーカスし、それに合わせた特化型のAIを開発し、そのアプリケーションに乗せられる状態で作り上げてきました。(角谷氏)
この明確な方向性が、アイラトの大きな強みになっている。DATERISE!での優勝により、同社はシンガポールでの3日間の海外展開支援プログラムを獲得した。11月にシンガポールを訪問し、協力関係にある住友商事のネットワークを通じて病院を訪問したり、アジアの医療機器メーカーやベンチャーキャピタルと面会したりする予定だ。
この領域で、自分が日本で一番グローバルに強いという自信があります。スタンフォードやハーバードの研究者の人たちとも、グローバルなアカデミアの舞台で一緒に招待講演を受けたりしています。(角谷氏)
放射線治療という高度に専門的な領域において、角谷氏のこうした学術的な実績とネットワークこそが、グローバル市場で戦うための最大の武器となっている。
「患者ではなく生活者として」──地方発スタートアップが描く未来

Photo credit: AiRato
日本では毎年約100万人が「がん」と診断され、その数は年々増加している。労働寿命が伸びる中、働きながら治療を続ける患者の割合も増え続けており、低侵襲でがん治療が可能な放射線治療の需要が高まっている。
アイラトは「放射線治療ですべてのがん患者を救う」というミッションのもと、この社会課題に正面から取り組んでいる。同社のビジョンは「ひとりでも多くのがんを治し、患者ではなく生活者として生きられる世界」だ。
我々の最終目標は、治らなかった人を治すことです。第一世代は、まだ業務改善の側面が強いが、第二世代以降では、本当に人を超えるような治療計画を作って、今まで治らなかった患者さんを治せるようにする。それを機械で実現したいんです。(角谷氏)
医療AI市場における日本のポジションについて、角谷氏は楽観的だ。医療のAI活用には、大きな可能性があると考えている。海外でも働いた経験から、どこにでも課題はあるが、日本人しか気づいていない課題もあるという。そこにはまだ開拓の余地が十分にあるというのが角谷氏の見解だ。
アイラトは現在、北海道大学病院、東北医科薬科大学病院、藤枝市立総合病院、熊本大学など、全国の主要医療機関と複数の共同研究を展開している。これらの研究を通じて、頭頸部がん、前立腺がん、肺がん、食道がん、脳腫瘍など、幅広いがん種への対応を進めている。
特に注目すべきは、規模や特性の異なる9つの医療機関で多施設共同試験を実施し、業務効率化や負担軽減、診療報酬の増加といった導入効果を定量的に評価している点だ。この科学的アプローチは、医療機器としての信頼性を高め、普及を加速させる基盤となる。
2026年1月の国内販売開始、2026年以降のアジア市場本格参入、そして2030年代初頭のFDA承認取得と北米市場参入──アイラトのロードマップは明確だ。住友商事との戦略的パートナーシップにより、アジア展開が本格化する。FDA承認に向けた周到な準備も進んでおり、第2世代プロダクトは既にFDA基準に準拠したコーディングで開発されている。
角谷氏と木村氏が研究室で10年かけて培った技術は、今、世界中のがん患者を救うための武器として、実用化の最終段階に入っている。がん患者が「患者」としてではなく「生活者」として生きられる世界──その実現に向けて、アイラトの挑戦は始まったばかりだ。
放射線治療という特定領域に深く特化しながら、グローバル市場を見据える──この戦略こそが、アイラトの強みだ。AI技術そのもので勝負するのではなく、最初から放射線治療という領域にフォーカスし、それに合わせた特化型のAIを開発した。この明確な差別化戦略により、アメリカの競合に対しても優位性を保っている。
グローバルヘルステックスタートアップとしてのアイラトの挑戦は、日本の医療技術が世界で勝負できることを示す重要な試金石となるだろう。東北大学の研究室から生まれた技術が、仙台というローカル拠点を起点に、アジア、そして世界へと広がっていく──その軌跡は、地方発スタートアップのグローバル展開のモデルケースとなる可能性を秘めている。
