
2025年9月29〜30日、沖縄科学技術大学院大学(OIST)で、OIST Innovationとライフタイム・ベンチャーズの主催により、ディープテックに特化したスタートアップカンファレンス「Startup Elevate」が開催されます。本稿では、このイベントに参加したスタートアップの一部をご紹介します。
世界の農業は深刻な転換点に立っている。バクテリオファージは植物病原菌を抑制する微生物農薬として注目され、溶解、捕食、菌類寄生など様々な作用メカニズムで農業での生物資材として活用されている。年間約2,900億米ドルという途方もない経済損失をもたらす農業病害、さらにEUの共通農業政策(CAP)が2030年までに化学農薬の使用量50%削減を目標に掲げる中、従来の化学農薬に代わる革新的なソリューションへの需要は急速に高まっている。
こうした世界的な潮流の中で、インペリアル・カレッジ・ロンドン(Imperial College London)の合成生物学博士号を持つ2人の研究者が立ち上げたスタートアップGreenleaf Bioが、バクテリオファージ、機械学習、合成生物学を融合させた次世代農薬の開発で注目を集めている。同社の革新的なアプローチは、自然界に存在するバクテリオファージの潜在能力を人工的に最大化し、従来の生物農薬が抱える課題を根本的に解決しようとするものだ。
世界のバイオ農薬市場は2022年に62億米ドルの規模に達し、予測期間中に年平均成長率14.1%を記録すると予想されている。Greenleaf Bioは、この急成長市場において独自のポジションを確立し、世界の農業に新たな変革をもたらそうとしている。
「スマート抗生物質」が切り拓く農業革命

同社の共同創業者であるLara Selles Vidal氏は、バクテリオファージを「スマート抗生物質」と呼ぶ理由について、その特異性と安全性を強調する。
私たちがバクテリオファージを「スマート抗生物質」と呼ぶのには理由があります。彼らは特異的で、特定の細菌のみを標的とし、植物周辺の良好な微生物叢を破壊しません。これは土壌、環境、人間、すべてにとって非常に良いことです。 (Vidal氏)
従来の化学農薬が植物周辺の微生物叢を無差別に破壊するのに対し、バクテリオファージは標的となる病原細菌のみを攻撃し、有用な微生物は温存する。この特性により、土壌の健康維持、環境保護、人体への安全性が大幅に向上する。
さらに重要なのは、細菌が耐性を獲得することが極めて困難である点だ。抗生物質耐性菌の出現が世界的な脅威となる中、この特性は農業分野における持続可能な病害管理の新たな可能性を示している。
抗生物質のような耐性の問題は発生しません。細菌がバクテリオファージに対して耐性を進化させることは、私たちのアプローチでは起こりません。 (Vidal氏)
同社の革新性は、自然界のバクテリオファージをそのまま使用するのではなく、合成生物学と機械学習を活用してその性能を大幅に向上させる点にある。自然界のバクテリオファージは素晴らしい出発点だが、真の農薬として設計されたわけではない。彼らは自然界で生存し、細菌を感染させるために存在しているが、すべての細菌を破壊する目的ではないためだ。
市場機会も急拡大している。作物バイオコントロール市場は2024年の49億米ドルから2033年には106億米ドルに達すると予測され、年平均成長率9.2%で成長する見込みだ。特に微生物系生物農薬は2025年までに市場シェアの30%以上を占めると予想されており、この分野でのイノベーションが市場の成長を牽引している。
日本市場においても成長が著しい。日本の生物農薬市場規模は2024年に5億1,600万米ドルに達し、2033年までに13億900万米ドルに成長すると予測されており、年平均成長率は10.9%を示している。食品の安全性への関心の高まりとオーガニック農業の需要増加が、この成長の主要な推進力となっている。
現在の農業が抱える根本的な問題として、細菌性病害に対する解決策の不足がある。殺菌剤、殺虫剤、多くの肥料は豊富にあるが、細菌に対するものはほとんど存在しない。既存の解決策は抗生物質と重金属に限られており、前者は耐性菌の問題、後者は毒性の高さという深刻な課題を抱えている。バクテリオファージはこれらの課題を根本的に解決する可能性を持つ次世代技術として期待されている。
〝針を探す〟よりも〝作り出す〟

従来のバクテリオファージ開発の課題について、Lara Selles氏は的確な比喩で説明する。
自然界でバクテリオファージを探すのは、干し草の中から針を探すようなものです。非常に時間がかかり、多額の費用がかかります。 (Vidal氏)
現在市場に存在するEcoPhage、AgriPhage、Intralytixのような競合は、自然界からバクテリオファージを分離し、そのまま製品化するアプローチを取っている。このプロセスは極めて時間とコストがかかる上、発見されたバクテリオファージが農薬として最適化されているとは限らない。
自然界で見つかるバクテリオファージは、農薬として使用するために必要な安定性や効率性を備えていない可能性が高い。UV(紫外線)やpH、塩分濃度に対して安定的でない場合があり、農場環境での実用性に課題を抱えている。他の企業は自然界から直接バクテリオファージを分離し、それをそのまま使用しているが、実際にそれらを最適化しようとはしていない。
Greenleaf Bioは全く異なるアプローチを採用している。自然界から情報を収集し学習した上で、合成生物学の技術を使用して理想的なバクテリオファージを設計・製造する。
私たちは「これが欲しい」と決めて、それを作り出すのです。 (Vidal氏)
これは「ラベルのように混合し、組み合わせ、物事をまとめる」プロセスであり、機械学習の応用も含まれている。
この革新的なアプローチの具体例として、UV(紫外線)耐性の向上が挙げられる。農場環境では強い紫外線に長時間曝露されるため、バクテリオファージの生存性が重要な要因となる。同社は合成生物学の手法により、UV耐性を大幅に向上させたバクテリオファージの開発に成功している。もし自然界で見つかったものと同社のものを同じ条件で比較すると、同社のものは自然界のものよりもはるかに長く生存する。
合成生物学の手法により、同社は土壌環境への適応性も大幅に向上させている。現在、UVに対してより耐性があるように改良しているが、塩分濃度やpHに対してもより安定になるように変更している。これらは農場にとってより重要な要素だからだ。さらに、標的細菌をより効率的に溶解する「より溶解性の高い」バクテリオファージの開発も進めており、従来品よりも迅速で確実な病害制御を実現している。
競合他社との違いについて、Lara Selles氏は明確な戦略を示している。基本的に、自然界からバクテリオファージを統合し、それは良いものだが基本的な製品である。そして、同社はそれらをより良くすることができる。欠けている小さなものを最適化することによって、完全な可能性を解き放つことができるのだ。
この技術開発における重要な洞察は、自然界のバクテリオファージが完璧ではないという認識である。彼らは作物保護剤になる準備ができておらず、作物保護剤として作られたこともない。自然界では、バクテリオファージはある程度で効率性を低下させる。なぜなら、すべての細菌を殺してしまえば、感染する宿主がいなくなり、自分たちも死んでしまうからだ。合成生物学により、こうした自然界の制約を取り除くことが可能になる。
ラボでの成功をもとに、飢餓に立ち向かう

同社が技術実証にジャガイモを選んたのは、いくつかの戦略的判断に基づいている。
ジャガイモを選んだ理由は、成長が早く、比較的安価だからです。そして、プレハーベスト(収穫前)とポストハーベスト(収穫後)の両方でバクテリオファージの効率を示すことができました。 (Vidal氏)
細菌性病害は「農場からフォーク」まで、農業・食品チェーン全体に存在する包括的な問題だ。収穫前の農場での病害から始まり、最長6〜7か月間の貯蔵期間、そして最終的な消費前の殺菌処理まで、各段階でバクテリオファージが活用できる。基本的に、細菌性疾患は農業・食品チェーン全体、つまり「農場からフォーク」に存在している。
現在同社は収穫前と貯蔵段階に焦点を当てているが、将来的には食品の最終殺菌処理への応用も視野に入れている。つまり畑と貯蔵である。基本的に、バクテリオファージはすべての道を感染させることができ、すべての方法で治療することができるが、現在は収穫前と収穫後に焦点を当てている。
ジャガイモでの技術実証が重要な理由は、この作物が収穫前と収穫後の両方の段階で細菌性病害の影響を受けやすく、バクテリオファージ技術の包括的な効果を検証できるからだ。実験室レベルでの成功に続いて、現在は温室試験の段階に移行している。
ジャガイモでの成功を足がかりに、同社は複数の高価値作物への展開を計画している。
私たちはジャガイモだけに焦点を当てているわけではありません。ジャガイモは、私たちの技術が機能することを示すための技術実証に過ぎません。(Vidal氏)
標的となる作物は多岐にわたり、稲熱病(いもち病)、柑橘類のグリーニング病、オリーブとブドウを脅かすキシレラ・ファストディオサ、トマトの細菌性病害など、世界の農業に深刻な影響を与える病害が含まれる。次のラウンドでは、稲熱病、柑橘類のシトラスグリーニング、キシレラ・ファストディオサにも取り組みたいと考えている。キシレラ・ファストディオサはオリーブの木など500以上の植物を脅かす病害で、特にオリーブとブドウが主要な高価値作物となっている。
実際の農場環境での検証も着実に進んでいる。同社はまもなく、暗室、4℃または18℃(地域再現)、換気システムなど、実際の貯蔵条件を模倣した温室試験を開始する予定だ。温室試験では、植物で機能することを証明することと、実際の貯蔵条件でも機能することをテストしている。
同社のモジュラー設計思想により、一つの技術プラットフォームから複数の作物向け製品を効率的に開発できる。このスケーラビリティは、グローバル展開と市場拡大において決定的な競争優位性となる。500種類以上の植物に影響を与える細菌性病害に対応できるという能力は、各作物の特性に応じたカスタマイゼーションが可能でありながら、基盤技術は共通化されているため、開発コストと時間を大幅に削減できることを意味する。
技術の実証において重要なのは、UV耐性の改良が実際に機能していることだ。もし自然界で見つかったものと同社の改良されたバクテリオファージを同じ条件で比較すると、同社のものは自然界のものよりもはるかに長く生存する。これは既に良い改善であり、同社が行っていることを示している。
独立性が生む競争優位

Greenleaf Bioの技術は大学からのライセンスに依存しない、完全に独立した開発によるものだ。同社の共同創業者であるGeorge TaylorとLara Selles氏は、インペリアル・カレッジ・ロンドンで合成生物学の博士号を取得後、同じ研究室でポストドクとして共同研究を継続した。その後、Lara Selles氏は日本でJSPS(日本学術振興会)フェローシップを取得し、TaylorはMultusとBetter Dairyという2つのスタートアップでの経験を積んだ。
この技術はどの大学の由来でもありません。私たちは完全に独立しています。私の共同創業者と私は博士課程で出会いました。私たちは両方ともインペリアル・カレッジで合成生物学の博士号を取得しました。(Vidal氏)
起業の動機となったのは、農業分野における深刻な課題の発見だった。
私の博士研究は農業化学大手のSyngentaが共同出資していたプロジェクトでした。そこで、同社が規制強化により化学農薬の承認取得に苦労している一方で、生物学的製剤への関心を高めている様子を間近で観察することができました。(Vidal氏)
市場調査により、殺菌剤、殺虫剤、肥料の分野では多くの選択肢が存在する一方、細菌性病害に対する解決策が極めて限られていることが判明した。殺菌剤のためのものがたくさんあり、殺虫剤のためのものがたくさんあり、多くの肥料があるが、細菌のためのものはほとんどない。既存の解決策は抗生物質と重金属化合物のみで、前者は耐性菌の問題により効果が低下し、後者は毒性の高さから使用が厳しく制限されている。
独立開発による最大の利点は、技術開発の完全な主導権を持つことだ。従来の大学発スタートアップが直面するライセンス制約、共同開発パートナーとの利害調整、知的財産の複雑な権利関係といった問題を回避できる。これにより、市場ニーズに応じた迅速な技術改良と製品開発が可能になっている。
商業化戦略において、Greenleaf Bioは市場特性と規制環境に応じた柔軟なアプローチを採用している。
大企業にライセンス供与する形が理想です。その理由は、彼らが肥料と混合することができ、また彼らは私たちの専門外の多くの製剤化についても既に知っているからです。また、彼らはすべての生産チェーンを持っており、それに適合するのは非常に簡単です。 (Vidal氏)
理想的なシナリオとして、Syngenta、Corteva、Bayerといった農業化学大手へのライセンス供与を挙げる。このアプローチにより、資金が限られたスタートアップでも効率的なグローバル展開を実現できる。大手企業の既存の流通ネットワーク、製造設備、規制対応能力を活用することで、迅速な市場浸透が可能になる。
一方、十分な資金調達が可能であれば、最終製品の直接販売も視野に入れている。その場合、政府農業機関や農協などとの直接的な協力関係構築が重要になる。日本のJAやその他の国の類似組織との協力は、農家との直接的な接点を持つ上で極めて重要である。
地域別の展開戦略も明確に区分されている。遺伝子組み換え技術により改良されたバクテリオファージは、主にアメリカと南米市場をターゲットとしている。改良されたものは主に米国と南アメリカに向けられ、その理由は彼らが変更された生物に対してより開放的だからである。一方、自然界から分離し、最適な組み合わせを追求した製品は、ヨーロッパや日本を含む世界中の市場で販売可能だ。
日本市場における展開については、沖縄という地理的制約がありながらも、積極的な事業開発を進めている。実際、Lara Selles氏が東京を訪問した際には1日で約15の投資家に会うことができたが、沖縄では同様の環境がないという。この経験は、日本の主要都市圏におけるビジネスネットワークの密度と効率性を示している。
投資家選定においては、単なる資金提供を超えた戦略的価値を重視している。専門分野の専門家である投資家を求めており、顧客紹介、業界ネットワーク、技術的アドバイスなど、資金以上の価値を提供してくれる投資家が理想的である。
持続可能な農業の未来

Greenleaf Bioの技術プラットフォームは、農業分野を超えた広範な応用可能性を秘めている。
私たちの会社の中核技術は、大規模なデータベースと機械学習によってバクテリオファージを生成するシステムです。これにより、あらゆる細菌性疾患を標的にすることが可能になります。人間の病気、水産養殖での動物の病気、農業分野など、この技術はあらゆるセクターに応用できるのです。(Vidal氏)
現在は作物保護に焦点を当てているが、この選択は戦略的なものだ。農業分野での成功を足がかりに、医療、畜産、水産養殖などへの技術移転を計画している。バクテリオファージ技術の汎用性により、細菌が関与するあらゆる疾患への対応が理論的に可能である。
チーム構成についても、現在の2人体制から段階的な拡大を計画している。資金調達の進展に応じて、植物生物学者と技術者の採用を優先し、実験室作業の効率化を図る。同時に、大学との協力協定により、研究リソースの効率的活用も進めている。
私たちはイギリス健康安全保障庁(UKHSA)と協力し、大腸菌やサルモネラ菌などの食品病原菌に対するプロジェクトも進めています。人間の病原菌を扱うため特別な設備が必要ですが、このような協力により研究を加速できます。 (Vidal氏)
同社の長期的な目標は、農業における病害問題の解決を通じて、食料安全保障と環境保護の両立を実現することである。化学農薬への依存を減らし、土壌と生態系の健康を維持しながら、世界の食料生産を持続可能な形で支える技術の確立を目指している。
技術的イノベーションを通じた社会課題の解決という同社のアプローチは、現代のスタートアップが目指すべき理想的なモデルの一つと言える。科学技術の進歩を商業的成功と社会的インパクトの両立に結びつけ、グローバルな課題解決に貢献する──これこそが次世代の農業技術企業が追求すべき価値創造の形である。
同社の技術プラットフォームは、特定の作物や地域に限定されない汎用性を持つ。バクテリオファージの基本的な作用機序は細菌種によって決まるため、植物の種類に関係なく適用可能だ。これにより、一度技術を確立すれば、多様な作物や地域の農業課題に迅速に対応できる。この特性は、グローバル市場での競争において重要な優位性となる。
温室試験の結果次第で、同社は次の段階である圃場試験への移行を計画している。圃場試験では、実際の農場環境でのバクテリオファージの効果と安全性を検証し、商業化に向けた最終的な技術実証を行う予定だ。この段階での成功が、製品の市場投入と本格的な事業展開への道筋を決定づけることになる。
Greenleaf Bioの挑戦は、農業という人類最古の産業に最新の科学技術を融合させる壮大な試みである。バクテリオファージと合成生物学という先端技術を武器に、同社は世界の農業が直面する根本的な課題の解決に取り組んでいる。その成功は、持続可能な食料生産システムの構築と地球環境の保護において、重要な転換点となる可能性を秘めている。
日本市場での展開から始まる同社のグローバル戦略は、農業技術革新の新たな潮流を生み出し、世界中の農家と消費者に利益をもたらす革命的な変化の始まりとなるかもしれない。