ミツバチの精度を超えた受粉で食料危機に挑む——HarvestXが描くロボット農業の未来


静岡県浜松市の旧イトーヨーカドー跡地に設けられた「浜松ファーム」では、人工光に照らされた栽培棚で青々と茂ったイチゴの間を、箱型のロボットが静かに移動している。最新のアップデートにより、ロボットは完全自動で稼働し、花の選定から授粉作業まで、すべて自律的に進めていく。数人がかりで丸一日かかっていた作業を、わずか数時間で完了する光景は、まさに農業の未来を体現している。

2020年に創業したHarvestXは、ロボットとAIを活用してイチゴの安定生産と生産コストの削減を実現する植物工場向けの農業ソリューションを提供している。同社が開発した授粉ロボット「XV3」は、従来ミツバチが担っていたイチゴの受粉作業を完全自動化することに世界で初めて成功した。この技術により、食料危機や気候変動といった現代農業の根本的課題に新たな解決策を提示している。

同社の技術的優位性を示す数値は驚異的だ。ミツバチによる受粉の精度がおよそ70%とされるのに対し、同社製ロボットは90%の精度を達成している。これは単なる機械的な代替を超えた技術革新を意味する。

2024年11月には「うなぎパイ」で有名な浜松の老舗菓子メーカー、春華堂への商業導入を発表し、創業から4年で技術開発から実用化までの道のりを駆け抜けた。現在、浜松市内に設けたパイロットプラント「浜松ファーム」では年間最大約5,400キログラムの生産能力を持ち、国内外からの引き合いが相次いでいる。問い合わせの約半数は海外からという状況は、この技術が持つグローバルな潜在性を物語っている。

東大発ベンチャーの原点と技術革新への挑戦

HarvestX代表取締役の市川友貴氏

HarvestX代表取締役の市川友貴氏は1997年浜松市生まれ。千葉工業大学情報工学科在学中から、すでに個人事業主として電機メーカーやスタートアップの組み込みエンジニアとして活動していた。しかし、純粋に「作ること」に没頭していた学生時代から、社会実装への意識を持つようになったのは、東京大学本郷テックガレージでのプロジェクト参加がきっかけだった。

最初は、すごく自分自身は作ることが好きで、ある意味、自分の中で閉じた状態で、自分が作りたいものを作っていました。そこから東大に来て、周りのプロジェクトを見ていると、いい技術を作るだけでなく、それをどう社会で使うかというテーマを皆さん抱えていて、自分も作った技術をどう社会に還元していくか、社会実装していくかを考え始めました。(市川氏)

東大農学部の研究員が手がけるワイン用ブドウのセンシングプロジェクトに参加した際、農業の奥深さと可能性を実感した。経験と勘に依存する従来の農業に対し、データサイエンスとロボティクス技術を応用することで、より科学的で再現性の高い農業を実現できるという確信を得た。

特にイチゴに注目した理由は、AI・機械学習の観点からの挑戦性にあった。産業ロボットが得意とする定形作業とは正反対に、イチゴは一つ一つが異なる形状や色を持つ。この多様性こそが、機械学習や深層学習の真価を発揮する分野だと市川氏は確信した。全く同じ形、同じ色のイチゴは存在しない中で、そうした不定形なものを認識し、適切に処理することこそが、人工知能技術の本領だと考えたのだ。

農業は非常に興味深い分野です。一方で、まだ経験に依存する部分が大きく、数式化やシステム化されていない領域が多い。だからこそ、自分のロボティクス技術を応用する分野として極めて魅力的でした。(市川氏)

2020年8月の法人化は、東京大学協創プラットフォーム開発(東大IPC)のプログラム「1stRound」を経て、ANRIやDEEPCOREなどから初期投資を受けて実現した。創業時には就職を考えていたが、技術の社会実装への強い意志と、周囲からの後押しが起業へと導いた。

ミツバチ依存の限界

Photo credit: HarvestX

現代のイチゴ栽培は複合的で深刻な課題に直面している。最も大きな問題は、受粉に不可欠なミツバチの減少と気候変動の影響だ。気温上昇によりハチ自体が減少し、養蜂家も激減している。ハチの出荷量も絞られており、そもそも受粉の手段そのものが確保できなくなっているのが現実だ。

創業当初は「受粉の自動化は不要で、ミツバチで十分ではないか」という声を多くいただいていました。しかし、特にここ2、3年で状況は劇的に変化しました。気温上昇とミツバチ自体の減少により、現在は養蜂家の数も大幅に減り、ミツバチの出荷も制限されています。農家の方々は受粉手段の確保そのものに困窮している状況です。(市川氏)

市場流通するトマトやイチゴの85~90%は施設園芸で生産されており、これらの作物は既に工業的な生産体制に移行している。さらなる自動化の余地が大きいのが現実だ。しかし、イチゴの植物工場は技術的に極めて困難とされ、葉物とイチゴの栽培は全く難易度が異なり、多くの企業が挑戦しては撤退してきた歴史がある。

市川氏が最初に直面したのも、この困難さだった。一般的な農園にロボットを導入しようとしたところ、農園ごとに通路幅が異なり、地面も不整地で凸凹している。太陽光による外乱も多く、センサーに悪影響を与える。環境変数が多すぎて、ロボットが安定して動作できる条件を満たすことが極めて困難だった。

この経験から、HarvestXは独自のアプローチを採用した。ロボットの性能向上だけでなく、栽培環境そのものの最適化に注力したのだ。

ロボットを高性能化することよりも、ロボットが安定動作できる環境を構築することの方が、現場での実装には重要だと考えています。そのため、ロボットやAI開発から始まった弊社ですが、現在は栽培設備まで手がけているのです。(市川氏)

この戦略転換により、HarvestXは種苗業者としての届出も行い、苗の提供から日々の生産オペレーションのマニュアル、生産管理のクラウドシステム、栽培設備まで、すべてをパッケージで提供する「企業向けイチゴ栽培キット」を展開している。

垂直統合によるロボット授粉技術

Photo credit: HarvestX

HarvestXの技術的優位性は、単なる機械的な受粉作業の自動化にとどまらない。同社はハチの生態に倣って授粉を行う技術を開発しており、太古から植物と共生してきたミツバチの動作パターンを詳細に分析、その知見をロボット制御に応用している。

授粉作業は見た目以上に繊細で複雑だ。花が傷つくと実ができなくなるため、強く当てすぎてはいけない。しかし、触れなすぎても花粉が付着せず、きれいな形にならない。特にイチゴの場合、花粉の付着の仕方によって形状が変わってしまう。

授粉作業は見た目はシンプルですが、花を傷つけると実ができません。優しく触れるだけでも不十分で、強く当てすぎてもいけない。特にイチゴは花粉の付着状況で実の形が変わるため、全体に均一な受粉が重要で、絶妙なバランスが必要です。(市川氏)

この繊細なバランスを実現するため、HarvestXは垂直統合型のアプローチを採用している。ハードウェアの機械設計からファームウェア、ミドルウェア、AIモデルまで、すべてを自社で開発している。

弊社では、ハードウェア設計からファームウェア、ミドルウェア、AIモデルまで、すべて自社で垂直統合しています。現場の知見や工学的視点だけでなく、植物学的な視点も不可欠で、花が咲くタイミングや花粉が付きやすい時期といった生理学的要素も考慮しなければなりません。分野横断で精度を高めるのが最も困難な点です。(市川氏)

授粉に使用する器具は「梵天」のような見た目だが、そこには企業秘密の素材を使用し、受粉成功率を底上げしている。この技術により、従来なら数人がかりで丸一日かかる授粉の作業量を、ロボットなら数時間で完了できる効率性を実現した。AIによる画像認識で花の状態を判断し、最適な受粉タイミングと強度を決定する複雑なアルゴリズムが、ミツバチを上回る20%高い精度を可能にしている。

データドリブンな競争優位性

Photo credit: HarvestX

HarvestXの真の競争優位性は、継続的に蓄積される高品質なデータにある。同社は受粉作業から事業を開始したため、イチゴの生育全過程にわたる詳細なデータを毎日収集できる仕組みを構築している。

データ量が最大の強みです。受粉から参入しているため、毎日回収するデータがすべてデータベースに蓄積されます。植物工場という制御された環境で、どのような環境で栽培し、どのような結果が得られたかという再現性の高い情報を取得できます。このデータを分析して新しいモデルを継続的に開発できる仕組みが社内にあります。(市川氏)

顧客企業での運用データも、許可を得た上で解析に活用し、次世代の技術開発に活かすフィードバックループを構築している。これにより、個別の実証実験では得られない多様で大規模なデータセットを保有し、競合他社が容易に追随できない技術的護城河を築いている。

この仕組みは、過去のスタートアップが陥った投資効率の悪さを回避している。従来のモデルでは、資金調達した資金で自社工場を建設すると数十億円が必要となり、年間で建設できる工場は2〜3個程度に限られてしまう。HarvestXの場合、顧客に仕組みを提供し、顧客の工場が指数関数的に立ち上がることで、データ蓄積と事業拡大を同時に実現している。

収益モデルについても、従来の売り切り型ではなく、サブスクリプション型のサービス提供を中心としている。受粉サービスとしてロボットを提供することで、初期投資を抑えながら継続的な収益を確保できる。

浜松エコシステムと商業化の成功モデル

左から:春華堂代表取締役 山崎貴裕氏、HarvestX代表取締役 市川友貴氏、浜松市長 中野祐介氏、浜松いわた信用金庫理事長 髙栁裕久氏
Photo credit: HarvestX

2024年11月、HarvestXは創業後初の商業化案件として、浜松の春華堂への導入を発表した。この成功は、地域のエコシステムが機能した結果でもある。

市川氏の地元である浜松市では、市長だった鈴木康友氏(現在は静岡県知事)の下で始まったスタートアップ支援が積極的に展開されており、産官学連携の仕組みが、HarvestXの事業展開を強力に後押しした。

最初に支援いただいたのは浜松いわた信用金庫という地元の金融機関でした。次のマイルストーンとして、大規模化の実証を自社ファームで行う必要があり、その場所として浜松が候補に挙がりました。(市川氏)

浜松市の「ファンドサポート事業」では、市が認定したVCが出資した企業に対し4000万円から5000万円の交付金を提供している。加えて、植物工場参入時の法規制対応についても、行政との密な連携により人的支援を受けることができた。

春華堂の導入決定については、顧客ニーズと技術の適合性が鍵となった。春華堂の山崎貴裕社長は「イチゴの流通量は季節によって変動があります。自然環境に左右されない植物工場で、年間を通じて安定した品質のイチゴが収穫できることは、スイーツ業界にとって大きな前進です」と評価している。

食品製造業特有のメリットも大きな要因だった。異物混入リスクの最小化が重要な食品製造業では、ハチやハエを使う従来の受粉方法は適用が困難だった。機械化により、より衛生的な生産環境を実現できることが、大きな付加価値となっている。

過去の植物工場失敗から学ぶイチゴ戦略の妙

ベルリン発の「Infarm」は、一度はユニコーンにまで成長したが、2023年に破産申告を余儀なくされた。
Photo credit: Infarm

植物工場は過去にも幾度となくブームとなったが、多くの企業が撤退している。2022年度の完全人工光型植物工場の運営市場規模は281億円となっているが、葉物野菜の植物工場では約3割が黒字、7割が赤字という状況が続いている。

市川氏は失敗の要因を明確に分析している。2000年代の植物工場ブームでは、多くの企業が空きスペースを活用して葉物生産を始めたが、売り先を決めずに生産を開始していた。「まずは作ってみよう」という発想だったため、売れ残りの廃棄費用がかかり、二重にコストがかかって赤字化してしまった。

一方で黒字化している企業は、食品製造業など自社内で消費先を持つ企業が中心だ。HarvestXの顧客戦略も、この教訓を活かしている。問い合わせの多くは、もともとイチゴ商品を自社で使用していた企業が中心となっている。食品製造業、不動産デベロッパー、鉄道会社など、自社内に販路を持つ企業からの引き合いが多い。

イチゴを選択した経済的合理性も明確だ。農林水産省の「生産農業所得統計」によれば、イチゴは国内市場規模がトマト(2,367億円)に次ぐ1,774億円と大きく、単価面でも大きなアドバンテージがある。

イチゴと葉物野菜の最大の違いは単価です。レタスはキログラム当たり数百円前半程度ですが、イチゴは卸売市場でもキログラム1,700円から2,700円で取引されます。つまり、単価は10倍以上の差があります。(市川氏)

海外展開を見据えた場合の優位性も重要だ。過去に葉物から果菜類への移行を図ったPlentyなど海外の大手企業も、最終的にはうまくいかず民事再生に至っている。受粉の安定化と栽培の大規模化の両立ができている企業は、世界でも片手で数えるほどしか存在しないのが現実だ。

持続可能な農業への未来展望

HarvestXの問い合わせは現在、約半数が海外からとなっており、グローバル市場での需要の高さを物語っている。地域的にはアフリカを除く全世界から問い合わせがあり、東南アジア、中東、北米、欧州から、農業関係以外の企業も含めて幅広い業種からの引き合いがある。

世界中のスタートアップなどからも「イチゴ栽培に取り組んだが、うまくいかなかった」ということで問い合わせをいただきます。ロボット部分のみの輸出や、日本品質のイチゴを飲食店で使用したいというパッケージ導入の相談も寄せられています。(市川氏)

興味深いことに、実は日本よりも海外の方がイチゴの消費量は多い。ただし、日本のように生食するのではなく、ヨーグルトに混ぜたり、ジャムに加工したりする用途が中心となっている。

技術のオープンソース化戦略についても、独特のアプローチを取っている。車輪の再発明を避ける社会貢献の側面と、人材獲得の戦略的側面がある。

車輪の再発明を避ける意味でも、共有部分は皆で共有するようにしています。これは純粋に社会貢献でもありますし、戦略的には人材獲得にもつながります。特に海外では、オープンソースでの取り組みから採用に結びつく事例が非常に多いのです。

弊社が開発したもののうち、ロボットのアームやセンサー部分を公開しても、それだけで弊社のロボットを再現することは困難です。結合部分の異なるパーツやパッケージ、ノウハウが不可欠であり、部分的な公開だけで同じソリューションを作るのは技術的に困難です。(市川氏)

HarvestXの現在のチーム構成は約20名で、その9割が研究者とエンジニアだ。農学系の専門家も含め、多分野にわたる専門知識を結集して技術開発を進めている。現在は主にイチゴに特化しているが、将来的にはトマトやメロンなど他の果菜類への展開も視野に入れている。

私たちの事業の特性として、利用企業や他社との連携がしやすいことは大きな強みです。ロボットを動かすためには半導体や通信も必要となるため、そうしたサービスを提供する企業と連携しても、互いにメリットがあります。(市川氏)

HarvestXが目指すのは、単なる収益性の向上だけでなく、持続可能な農業システムの構築だ。同社のミッション「未来の世代に、豊かな食を。」は、現在の食料生産システムが抱える根本的な課題に対する真摯な取り組みを表している。

もちろん、投資家の方々に最大限のリターンをお返しすることは追求し続けなければならないと考えています。そして、その結果として世の中をより良くしていくことも可能だと思っています。営利企業である以上、利益を出さなければサービスを継続できず、それはお客様のためにもなりません。社会課題を解決した結果として、投資家の方々にもリターンをお返しできるのです。(市川氏)

農林水産省が公表している2021年度の生産額ベースの食料自給率は63%となっており、前回から4ポイント低下、過去最低を記録している日本において、気候変動に左右されない安定的な食料生産システムの確立は急務となっている。

今、非常に集中したいのは、やはりグローバル展開です。資金はもちろん潤沢にあれば嬉しいですが、それ以上にパートナーシップが重要です。自分たちで営業体制を一から構築するのではなく、大手企業が保有する資産を積極的に活用していきたいと考えています。(市川氏)

創業から僅か4年で商業化を実現したスピード感、東大発ベンチャーとしての技術的深度、そして浜松という地域エコシステムを活用した事業展開は、日本のディープテック・スタートアップの新しい成功モデルを提示している。気候変動により従来の農業が限界に達する中、植物工場という制御された環境での高精度な食料生産は、人類の食料安全保障にとって不可欠な技術となりつつある。

HarvestXの事業モデルは、従来の農業ベンチャーが陥りがちな設備投資の重さを回避し、技術とデータを核とした軽量な事業構造を実現している。顧客の工場から継続的にデータが蓄積され、それが新たな技術開発につながるという好循環は、競合他社が容易に追随できない持続的な競争優位性を構築している。世界各地からの引き合いが示すように、HarvestXの技術は地球規模での食料問題解決に向けた重要なピースとなる可能性を秘めている。

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