
スマートフォンのカメラに30秒指を当てるだけで自律神経のバランスを解析し、改善に適した習慣をレコメンドするマインドフルネスアプリ「Upmind」。2021年7月のリリースから現在150万ダウンロード超と、日本国内最大級のマインドフルネスアプリまで成長している。
開発・運営するUpmindは、東京大学滝沢龍研究室との共同研究を実施し、科学的な検証を元に開発に取り組んでいる。2024年4月には東京大学共創プラットフォーム基盤(東大IPC)の1stRoundに採択され、阪急阪神ホールディングスとの協業も開始した。
代表取締役CEO箕浦慶氏が目指すのは、「マインドフルネスをランニングと同じような当たり前の習慣にすること」だ。日本のメンタルヘルス市場という未開拓領域から、アメリカを筆頭とした海外展開まで、その壮大なビジョンについて語った。
インドでの体験から生まれた事業構想

Photo credit: Upmind
箕浦氏のマインドフルネスとの出会いは、大学時代のインド滞在にさかのぼる。2011年、東京大学を1年間休学して語学留学したインドで、ヨガの教室に参加し、そこでマインドフルネス瞑想の方法を教えてもらい、生産性が高まる効果を体感した。
もともと経営者がパフォーマンス向上のために瞑想を実践しているという話に興味を持っていたが、実際に自分が習う機会はなかった。インドに3カ月間滞在した際、現地の先生に初めてマインドフルネス瞑想を教わった箕浦氏は、その効果に驚いたという。
呼吸に集中することをずっと続けていると、すごく脳が落ち着いた感覚があって、一日をあれこれ考えて始めるよりも、一回リセットした状態で始める方が、選択する瞬間に自分らしいものを選択できて、一日の時間の使い方が良くなったという感覚がありました。(箕浦氏)
この体験が、後の事業構想の原点となった。現在も箕浦氏は一日の始まりと終わりにマインドフルネスを実践し、10年以上にわたって習慣として継続している。
東京大学工学部を卒業後、teamLabに入社し、2016年までスマートフォンアプリのエンジニアとして開発業務に従事した。teamLabは2001年に東京大学と東京工業大学(現・東京科学大学)の大学院生ら5名によって設立され、プログラマ、エンジニア、数学者、建築家、絵師、ウェブデザイナー、グラフィックデザイナー、CGアニメーター、編集者など、デジタル社会の様々な分野の専門家から構成されている先進的なデジタルコンテンツ制作会社だ。
その後、米Bain & Companyに転職し、経営戦略の立案に従事した。転機が訪れたのは2021年。コンサルタントとして働く中で、深刻な社会課題を目の当たりにすることになる。
周りを見ていると、プレッシャーやストレスに追われて、メンタルのバランスを崩すケースが多く、情報量も膨大になっている中で、みんな脳が疲れた状態のまま働いていました。特に真面目で仕事熱心な人の方が脳を休めることも意識せず、心身の調子を崩して突然休職されるケースが多いように思えました。彼らを見ていると、意図的に脳を休める『マインドフルネス』が役に立つように思えました。(箕浦氏)
この実体験が、事業アイデアの核心となった。自身がマインドフルネス瞑想の効果を実感していた箕浦氏は、この習慣を広げていく事業を立ち上げることを決意し、2021年5月、Upmindを設立した。
技術とマインドフルネスの統合的アプローチ

Upmindは心拍変動解析の技術を利用し、30秒間スマートフォンのカメラに指をあてるだけで、自律神経のバランスの状態を計測できる。この技術アプローチについて、箕浦氏は独自性を強調する。
世の中にカメラで心拍を測る技術は他にもあったが、多くのサービスが見える化するだけで終わっていたり、ユーザー体験として最適化されていなかったりする問題があった。既存サービスの多くは検出はするが、それに対してどのような対策を取るべきかという部分が弱く、検出と対策の両方を1本のアプリで提供できるサービスは少なかった。
我々のアプリはマインドフルネス瞑想だけに特化しているわけではありません。カメラから心拍の状態を測る機能も含めて、自分の状態を見える化して、状態に応じてマインドフルネスを行うという統合的なシステムを提供しているところは、他にあまりありません。(箕浦氏)
当初はウェアラブルデバイスとの連携も検討したが、日本市場ではまだウェアラブルデバイスの普及が限定的だったため、マスにリーチする観点で、スマートフォンで完結するアプローチを採用した。
専門家監修のもと、瞑想のほかにヨガなどのコンテンツも揃えており、2分間で実践できる内容もあるので、忙しい生活の中でも取り組むことが可能だ。マインドフルネスの第一人者である吉田昌生氏と梅澤友里香氏の監修のもとでコンテンツを制作している。さらに、フリーアナウンサーの内田恭子氏のナレーションのプログラムも新たに作成するなど、著名人の協力も得ながらクオリティの向上を図っている。
心拍を見える化するサービスはありますが、見える化するだけで終わっていたり、ユーザー体験として全然最適化されていないものが多かった。その辺りをうまくやったら、もっといいサービスが作れるのではないかと思いました。検出する部分と対策をする部分、両方を1本のアプリでできるところは、確かに少ないかもしれません。(箕浦氏)
マネタイズ面では、フリーミアムモデルを採用。年額6,600円と月額1,650円のプランを用意し、無料でも基本機能は使えるが、より豊富なコンテンツを楽しみたいユーザーには有料プランを提供している。
科学的検証と日本市場の文化的課題
Upmindの信頼性を支えているのが、東京大学と2022年から3年間にわたる中長期で共同研究を実施していることだ。この共同研究は箕浦氏が能動的にアプローチして実現した。
研究では、アプリでマインドフルネス瞑想を習慣化した時にどういった効果があるのかの検証と、不調の予測に関する研究に取り組んでいる。健康な労働者に5分から10分のメディテーションを「Upmind」を利用して1ヶ月間実施してもらう実験では、生産性が17%向上したという結果が得られた。
この科学的アプローチは、日本市場でマインドフルネスを普及させる上で重要な戦略だと箕浦氏は考えている。日本ではメンタル的な部分に対する根強いバイアスがあり、厳しいことがあっても耐えることが美徳とされてきた文化がある。さらに、マインドフルネスそのものに対する誤解も大きな障壁となっている。
日本では、マインドフルネスが宗教的な要素を一切排除して体系化された瞑想法であるにもかかわらず、その事実が認知されず、宗教と結びついたネガティブな先入観を持っている人が多いのが現状です。そのため、科学的に効果があることを訴求していく必要があります。(箕浦氏)
マインドフルネスはもともと仏教がルーツだが、アメリカでは宗教的な要素を一切排除して、今この瞬間に意識を向けるという多くの方が取り組みやすい形に体系化されている。そして脳科学の研究で効果のエビデンスが確認されているので広がっているが、日本ではそういった理解が進んでおらず、マインドフルネスは仏教で宗教という認識で止まってしまっているのが現状だ。
マインドフルネスから宗教の要素を一切排除していて科学的に効果があることを訴求していくこと、ライフスタイルとして、ランニングと同じような自信を高めるポジティブな習慣であることを地道に訴求していく戦略を取っています。前者については、科学的に効果がある習慣であることを発信していますし、東京大学との共同研究で取り組んで、実際にこういった効果が確認できていることをアピールしています。(箕浦氏)
法人協業とオフライン展開戦略

法人向け事業では、阪急阪神ホールディングス、栃木ニコン(ニコンの栃木工場)、森ビルホスピタリティー(約2000名規模)などで従業員向けに導入されている。サービス形態は企業が費用を負担し、従業員は無料で利用できる一般的なB2B2Cモデルだ。
当初は、ストレス負荷が高い業界や女性社員が多い企業・業界などを戦略的にターゲットにしていたが、まだまだ日本では立ち上がっていない領域のため、各企業で予算もついておらず、新規予算確保のハードルが高い状況だった。そのため現在は、執行役員など経営に近いレベルの方が自社の社員の労働環境に課題を感じていて、マインドフルネスにも理解がある企業からのお声がけベースで対応している。
特徴的なのは、アプリ提供に留まらず、オフラインでの体験機会も創出していることだ。東京建物との協業では、東京駅前の「八重洲プロジェクト」という再開発プロジェクトで、入居企業の従業員がリフレッシュできるフロアの一角に、マインドフルネス空間を設ける予定だ。
ランニングが当たり前の健康習慣として科学的にも効果があるという全員の共通認識があるように、心の健康に関してもマインドフルネスを当たり前の習慣にしたいという思いがあります。そのためには、アプリで手軽に実践してもらうだけでなく、日常空間の中で体験してもらわないと、マインドフルネス自体が広がっていきません。(箕浦氏)
これらの空間展開の戦略は明確だ。東京建物の事例では入居企業の従業員向けの認知向上が目的であり、スパの場合は一般の方向けの認知拡大を狙っている。最終的な目標は段階的なアプローチで、まずマインドフルネスを体験してもらい、その結果としてアプリにも興味を持ってもらって、日常的に習慣化してもらうことだ。
さらに、「渋谷SAUNAS」でのサウナ内音声ガイド提供や、コスメブランド「THREE」との協業など、ライフスタイルブランドとの連携も積極的に展開している。サウナ愛好家には起業家や投資家が多く、直接的な利益に結びつかないところにもコストを払うことに対してオープンな傾向があるため、マインドフルネスとの相性がいいと箕浦氏は分析している。これらの取り組みは、単なる認知拡大を超えて、マインドフルネスのイメージ転換を狙ったものだ。
グローバル展開とアスリート特化戦略

箕浦氏の最終目標は、グローバル市場でのリーディングプレーヤーになることだ。ランニングといえばナイキのポジションが築かれているように、マインドフルネスにおいても、グローバルでそのポジションとして認知される存在になりたいと考えている。
第一ターゲットは米国市場だ。海外では、アメリカを中心に、マインドフルネスがウェルビーイングの実現やメンタルヘルスを改善するための実践的かつ効果的な方法として着目され、瞑想を定期的に実践する人口が増え、市場が急成長している。海外の主要プレーヤーであるCalmは約1億2000万ドル、Headspaceは約8630万ドルの消費者支出を記録している巨大市場だ。
しかし箕浦氏は既存プレーヤーとの差別化に自信を見せる。マインドフルネス瞑想だけに特化していないところがあり、カメラから心拍の状態を測る機能も含めて、自分の状態を見える化して、状態に応じてマインドフルネスを行うという統合的なシステムを提供しているところは、他にあまりないという。
競争の激しい一般市場への対応として、同社では興味深い戦略を打ち出している。現在、アスリート向けに、パフォーマンス向上を主な目的とした新しいマインドフルネス習慣化アプリを開発している。
アスリートの市場だけで見てみると、アスリートに特化したものは競合が少なく、海外、特にアメリカのメジャーリーグやバスケのNBAなどで、マインドフルネスを取り入れる選手も増えているので、チャンスがあると見ています。(箕浦氏)
一般向けマインドフルネス市場では既に強力な競合が存在するが、アスリート特化という切り口であれば、より具体的なニーズに対応できる上、競合も少ない。さらに、プロスポーツ界でのマインドフルネス導入トレンドは、アメリカを中心に加速している。
基本的にグローバル展開する場合は、あまり人員を多く配置せず効率的に展開したいので、アプリのB2Cに近い領域でのグローバル展開になると考えています。ただし、マーケティングやブランディングについては、そういった市場では競争が激しいので、非常に重要だと思っていて、力を入れたいと思っています。(箕浦氏)
日本市場の構造的課題と長期経営戦略
日本市場には独特の課題がある。特に深刻なのは、ヘルスケアアプリへの課金に対する意識の違いだ。ヘルスケアアプリに対してお金を払う人の割合は、アメリカの方が高く、自分の健康に自分で投資してマネージするという考えが日本では弱いと箕浦氏は分析している。
現在の日本市場については、常に自分の健康に投資するというよりも、何か課題を感じた時に一時的にケアするというパターンが多いと分析している。こうした状況を踏まえ、同社では資金調達に頼らない堅実な成長戦略を取っている。
マインドフルネスを日本で浸透させるには10年以上かかると想定していますが、資金調達してしまうと、投資家の期待するタイムラインでの展開を求められることになり、そこまでにその世界が実現できなかったら終わりということになってしまいます。それよりも、今の事業でちゃんと収益を生み出す堅実なものにして、地道に10年以上のスパンでやっていく方が、日本の市場には合っている思います。(箕浦氏)
ただし、海外展開となると別の話になるので、そこは検討が必要だと考えている。国内最大級のマインドフルネスアプリまで成長した現在でも、箕浦氏は進捗について最終的なビジョンの10分の1から20分の1程度と率直に評価しており「『あすけん』と『ルナルナ』に次いで、国内3位のヘルスケアアプリとして認知されるようになるのが直近の目標」だという。
Upmindのユーザー特性について、箕浦氏は詳細な分析を提供している。8割以上が女性ユーザーで、年齢に関しては、40代が32%と最も多いが、20代から50代まで偏りがなく幅広い年齢層に利用されている。特に注目すべきは、中高年層の利用が多いことだ。40代女性ユーザーが多い背景には、ホルモン変化や更年期に関連するウェルネスニーズの高まりがある。
6,600円という価格は、それぐらいの投資で得られる効果としては非常に安いと考えていますが、高いという印象を持たれる方が多いというのが現実です。ヘルスケアアプリに対してお金を払う人の割合は、アメリカの方が高く、自分の健康に自分で投資してマネージするという考えが日本では弱い。そこが変わっていかないと、結局、日本でヘルスケアの市場が大きく変わっていくことはないのではないかと考えています。(箕浦氏)
未来への展望——世界標準の習慣創造へ

Photo credit: Upmind
事業拡大に向けて最も重要なのが人材確保だ。現在5名体制で、特にアメリカなどでのビジネスリードを担える人材が最も必要だという。開発については現在外注に依存している状況で、社内では開発人材を特に抱えていない。
現在は自己資金で運営しているため、スタートアップ相場と比して高い月報酬だが、ストックオプションを活用して優秀な人材を採用することは難しく、それでも会社としての取り組みに強く共感してくれる人材を採用している。今後、海外展開のタイミングでの調達を視野に入れているようだ。
箕浦氏の描く未来は、マインドフルネスが社会インフラとして機能する世界だ。この目標は単なる事業的成功を超えて、社会的意義を持っている。本当にやりたいことや自分がどうありたいかを意識しながら生きた方が、後悔のない人生、幸せな人生を歩めるのではないかと考えており、日本の人たちにもう少し休むことを覚えてもらったり、生き方のヒントを与えられたりするような事業をしたいという思いがある。
売上や利益も事業を続けていくためには大切ですが、プライベートでも仕事でも、損得はあまり意識せずに、自身がワクワクすることをやり続けたいと考えています。自身の声を深く聴くということを意識していて、自身に正直なことをやっている限り、モチベーションは続くと考えています。(箕浦氏)
また、長期的にやりたいことを続けていきたいので、無理はしないように海外旅行に行ったり休息を意識しながら、事業に取り組んでいるという。法人事業についても積極的で、従業員の方がマインドフルネスを習慣化することを支援できるような法人プログラムを開発している。
日本で多くの方がマインドフルネスの習慣化に取り組み、幸せに生きる人がより増えているということに少しでも貢献できればと考えています。今後は法人事業にも取り組んでいく方向で、従業員の方がマインドフルネスを習慣化することを支援できるような法人プログラムを開発しています。法人プログラムなどを通して、マインドフルネスの習慣をより広げていきたいと考えています。
ストレス社会に生きる現代人にとって、科学的根拠に基づいたメンタルケアはますます重要になっている。マインドフルネス瞑想アプリ市場の成長は、メンタルヘルス問題に対する意識の高まりや、心の健康のための効果的なツールとしてマインドフルネスが受け入れられつつあることが重要な促進要因となっている。
Upmindの技術とビジョンが、日本から世界へと広がっていく過程は、ヘルスケア業界の大きな変革を予感させる。マインドフルネスという東洋発の概念を、最新のテクノロジーと科学的検証で現代的にアップデートし、グローバル市場に挑戦する箕浦氏とUpmindの今後の展開に、大きな注目が集まっている。
日本の文化的な障壁を乗り越え、科学的なエビデンスに基づいたアプローチで市場を開拓し、最終的には世界標準のマインドフルネス習慣を創造する——箕浦氏の描く壮大なビジョンの実現に向けて、Upmindはまだ道のりの序盤にいる。しかし、その確固たる信念と戦略的なアプローチは、日本発のグローバルヘルスケア企業の新たなモデルケースとなる可能性を秘めている。